「あかね、熱ざましの薬をくれないか?」
ノックもそこそこに飛び込んできた少年。
あかねは彼の姿をみとめて、クスクスと笑いながら立ち上がった。
「乱暴に開けないでよ、天真君。扉が壊れちゃうよ」
「あっ、すまん」
天真はばつ悪そうに頭を掻く。
あかねは家中に並んだ壷や、天井から下げられた薬草の中からいくつか選び、手早く調合していく。
彼女の動きにあわせ、肩口で揃えられた髪がサラサラと揺れる。
あかねは村で唯一の薬師だった。
「蘭ちゃん、また悪いの?」
あかねは薬草を小さくしながら、背中ごしに訪ねた。
幼馴染みの少女は、あまり丈夫ではなくよく熱を出すのだ。
そしてその時に兄の天真が薬を取りに来るのは、いつものことだった。
天真はあかねの手元を見つめつつ頷く。
「ちょっと風邪ひいたみたいだ」
「大丈夫なの?」
「いつものことだからな。あかねの薬飲んで寝てりゃ治るだろ」
「もう、気楽なんだから・・・・。はい、これ」
あかねは少し怒ったように頬を膨らませ、調合した薬を袋に入れ天真の手のひらにのせた。
「おっ、サンキュ。蘭が良くなったら、またメシ食いに来いよ。みんな喜ぶからさ」
健康的に日焼けした天真は白い歯を見せて笑った。
「ほんと?じゃあ、お言葉に甘えるわ!」
「ああ、遠慮なんかするなよ。・・・なあ、あかね、お前顔色悪くないか?」
天真が訝しげに眉を寄せる。
あかねは、そうかな?と顔に手を当て首を傾げた。
「今日は曇ってるから光の加減じゃないかな?」
「・・・それならいいけどな」
心配そうな天真に微笑みかけ、あかねは扉を開けた。
「蘭ちゃんが待ってるよ、早く薬を持って行ってあげて。蘭ちゃんが治ってくれないと遊びいけないからね」
ペロッと茶目っ気たっぷりに舌を出す。
そんなあかねの頭を天真がくしゃっと撫で付けた。
「そうだな。じゃあ、またくるからお前も気をつけろよ、あかね」
「天真君もね。油断してると蘭ちゃんの風邪うつるかもよ?」
「そんなヘマするかよ。じゃ、またな」
「蘭ちゃんにお大事にって伝えてね」
了解と頭の上で手を振った天真を笑顔で見送り、あかねは静かに扉を閉めた。
あかねは棚においてあった手鏡に自分の顔を映した。
蒼いというより、白いといった方がいい顔色。
「・・・紅をささなきゃ・・・」
ぽつりと呟き、あかねは無意識のうちに胸元のペンダントを握り締めた。
「大丈夫、まだ大丈夫よ。・・・友雅さん、もう一度あなたに会いたい・・・・」
子供の頃、まだ生命の輝きに溢れていた子供時代。
綺麗な思い出の中の、麗しい魔族。
あかねは祈るように瞳を閉じたまま立ち尽くしていた。
「あれ?」
城の中を掃除していた詩紋は、ある波動を不意に感じて不思議そうに傍らにあった水鏡を覗き込んだ。
それは一点の曇りも揺れも無い、言葉どおりの水鏡。
いつものように詩紋の顔を映すそれに、首を傾げる。
「気のせいかな?揺れた気がしたんだけど・・・・。ご主人様はまだ眠っているし・・・気のせいだね、きっと」
水鏡は詩紋の主人のもので、遠見に使うものだ。
その水鏡が誰も呼びかけていないのに、水面を揺らすなんて信じられない。
しかし揺れるはずのない水面は、詩紋の目の前で微かに煌いた。
「あ、また」
まるで水滴が落ちたかのごとく広がる波紋。
波打つ水面に影がよぎる。
「誰?人間?」
詩紋はそっと右手を水鏡にかざした。
すると漣のたっていた水面が一瞬にして、鏡面の固い輝きを取り戻したのである。
そこに映るのは紛れも無い人間の娘。
明るい髪の可憐な少女。
「・・・・何で人間なの?それに微かだけど感じるこの波動・・・」
「ご主人様じゃな」
「うわぁっ!」
いきなりしゃがれた声が頭上から降ってきて、詩紋の手はあやうく水鏡に突っ込むところだった。
詩紋は上を仰ぎ、犯人の姿を見つけ溜息を吐いた。
「じいやさん、びっくりさせないでよ。僕のか弱い心臓が止まったらどうするんですか?」
「ダイヤの心臓のくせして何を言っておる」
【彼】は高い天井の闇の中から、パタパタと音を立てて舞い降りてきた。
そう【彼】は真っ黒なカラスだった。
じいやは水鏡を興味深く覗き込んだ。
「ほう・・・。この娘、ご主人様のものを身につけておるようじゃの。その上、ご主人様の事を深く考えているようじゃ」
「人間が、ご主人様の物を持っているのですか?向こうにうっかり落し物でもしたのかな?あの方は」
聞きようによっては大層無礼なことを言っている詩紋。
けれどじいやはそれを咎めもせず、う〜ん、と唸った。
「拾ったのならご主人様の事を考えるわけがない。気まぐれに与えたと思った方が自然じゃろう。しかしあの娘気になるな」
「どこがです?」
「人間のくせに、魔族であるあの方をここに届くほど想う、心の強さじゃよ。並大抵とは思えん。あの方の害にならねばよいが・・・」
「じゃあ、僕が彼女を見てきましょうか?」
詩紋はやけにうれしそうに自分を指差した。
その隠せないはしゃぎように、じいやの目が胡散臭そうに詩紋へ向けられる。
「何を企んでおる」
「えっ?い、いやだなぁ。何も企んでいませんよ。ただ純粋に彼女とあの方との関係を調べてこようと思ってるだけです」
「顔が笑っておるぞ、詩紋」
じいやの指摘に、詩紋が慌てて頬を押さえる。
主人が眠っている間の単調な仕事の繰り返し。
それに少しでも変化をもらえるのだから、ついつい顔がにやけてしまったらしい。
じいやはひとつ息をつき、仕方なしに頷いた。
「ようするに退屈なんじゃろう?行ってくるがよい」
「ありがとう!じいやさん!」
「ただし!」
今にも飛び出さんばかりの詩紋の肩に乗って、じいやは翼の先で彼の鼻先をビシッと指した。
「捕まるような愚かな行動はするな」
「わかりました。じゃぁ、行って来るね」
肩先からじいやが飛び立つのが早いか、詩紋は一瞬にして白い蝶へと変化し空へ飛んでいった。
「やれやれ・・・・。今から行っても夜になるぞ。・・・・・もう聞こえぬか」
じいやは呆れたよう首を左右に振ったのだった。
<続>
02/10/9
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