鈴の音がした瞬間、あかねは強烈な白い光に包まれた。






 次に目を開けた時には井戸の前ではなく信じられない場所に立っていた。
 大きな泉が広がる神泉苑。




「どう・・・・して・・・・・?」
 あかねはふらふらと水辺へ近づいた。
 何故いきなりこの場所へ呼ばれたのか。
 龍神の神子として?・・・・いや、違う。
 もしそうなら、天真や詩紋もここに立っている筈だから。
「何故今になって・・・・・。龍神様、何故なの!?」
 必死に叫んでも、答えはない。
 ここへ来た理由も帰るすべも分からず、頼れるのはやはり藤姫と八葉のみ。
 



 あの人とまた再び逢わなければならないのだろうか。
 もう逢えない、逢わないと心に決めた人・・・。
 切なくて苦しくて・・・・、眦から零れる涙。





「神子殿!」
 背後から突然かけられた、懐かしい呼び名に振り返れば、そこには懐かしい人達が立っていた。








 人目につきたくないとのあかねの希望で、左大臣を密やかに訪れた。
 神泉苑で隠れるように乗った牛車から降りたのは、前もって人払いをすませた左大臣家の車寄せ。
 あかねは頼久と泰明に守られるようにして姿を隠し、藤姫の部屋を訪ねた。







「まぁ。神子様!」
 二人の八葉と入ってきたあかねの姿を一目見た藤姫は、頬に手を当て息を呑んだ。
 藤姫は、一年前に別れたあかねを想像していたのに、現れたのは大人の女性。驚くのは当然だろう。
 あかねの服は、制服ではなくスーツ。
 以前のスカートより丈は長くなってるが、タイトなので体のラインはしっかりと形どられている。
 10代の頃よりも、女性らしいまろみを帯びた体。
 あかね程メリハリのある体は、締め付ける事の少ない京の女性にはなかなか持てないものだった。
 あかねが藤姫にしっとりと微笑む。
 かつて藤姫が記憶に刻んだ、はじける笑みとは対照的な笑顔。
「久しぶりだね、藤姫。少し見ないうちに綺麗になったね」
 あかねの言葉に藤姫が首を振った。
「いいえ・・・。私などより神子様、とてもお美しくなられましたわ。それにお姿も・・・・・。いったいどれだけの時を過ごされたのですか?」
「5年よ。ふふ、私、鷹通さんより年上になっちゃった」
 勧められるまま藤姫の近くに座る。
 泰明と頼久は、少し離れた場所に腰を落ち着けた。






「どうしてまたここに召喚されたかわかる?」
 神泉苑に立つ前後のおおまかな話を終えたあかねは、難しい顔をして考え込む藤姫に聞いた。
 おおまかな話・・・・。それは友雅への想いをすべて排除した話。
 しかしそんなあかねの想いに気が付くものはいない・・・・。





 
 あかねに聞かれていつも的確な答えを出す藤姫も、今回ばかりは困り果て首を横に振るばかり。
 藤姫は申し訳なさそうに、小さく身を縮めた。
「分かりません・・・・。でも鈴の音が聞こえたのならば、龍神様のご意思でしょう。・・・泰明殿はどのようにお考えですか?」
 藤姫に尋ねられた泰明は、半眼に閉じていたまぶたを上げた。
 泰明のすべてを見透かすような強い眼差しに、あかねは思わず顔を伏せる。
「分からぬ。星の一族にも分からぬ龍神のこと、私に分かるはずがない。だが何らかの龍神の意思が働いていると考えるのが妥当だろう」
「そう・・・・ですか・・・・・」
 陰陽師として秀でた能力を持つ泰明でさえ、はっきりと分からぬ事実に藤姫は肩を落とした。
 だが、あかねにとって大事なのは、召喚された事よりも元の世界に戻ることだった。
「泰明さん。私、戻ることは出来ますか?」
「神子が望むならすぐに調べよう」
「お願いします、泰明さん」
 ぺこりと頭を下げてから、あかねは藤姫を振り返った。
「藤姫、帰るまでまた置いてくれるかな?」
 あかねの願いに、藤姫は華が咲くように満面の笑みを浮かべた。
「まあ、もちろんですわ、神子様。どうぞ以前のように使って下さいませ。そうですわ、八葉の皆様にもお知らせを」
「やめて!!」
 突然の叫び声に、藤姫が驚いて言葉を飲み込んだ。
 泰明もこの部屋に入って一言も発しなかった頼久も、軽く目を見開く。
 あかねはスカートを関節が白くなるほど強く握り締めた。
「・・・ごめん・・・。でもお願い、誰にも知らせないで・・・・」
「神子様・・・・」
「『神子様』なんて呼ばないで。・・・私はもう神子じゃない。ただのあかね。それなのに皆を煩わせるなんておかしいから・・・・」
「そのようなことありませんわ。皆様きっと神・・・・いえ、あかね様にお会いしたいと思っています」
 確かにあかねがまた戻ったと知れば、八葉の皆は駆けつけてくれるだろう。
 でも・・・・
「・・・・・・ごめんね」
 深く項垂れて、あかねは小さく謝った。
「逢いたくないのは友雅か?」
 ビクッとあかねの肩が揺れた。
「泰明殿!」
 頼久が泰明を咎めるように呼ぶ。
 あかねはその頬に苦い笑いを浮かべた。
「・・・・相変わらずだね、泰明さん」
 彼はその生い立ち故に、真綿で包むよう言葉ではなく、まっすぐに真実へ切り込んでくる。
 それが心地よくもあり、切なくもある。
 あかねはきゅっと唇を噛み締め、泰明を見つめた。
 澄んだ瞳があかねを射抜く。
 それに負けないよう、あかねは腹に力を入れた。
「そうよ。・・・・逢いたくないの。あの人に」
「何故だ?分からぬ。お前達は分からぬことばかりだ。別れを選んだ事も、逢いたくないという神子も分からぬ」
「・・・・・・そうね・・・・・。私も分からないもの。逢いたくて、逢いたくなくて。・・・ただ私が傷つきたくないから逃げたのよ。全部私の我儘」
「・・・・神子の言葉は謎かけか?」
「自分が分からないのに、他の誰にわかるというの?もう、これ以上、私の我儘であの人を傷つけたくない」
「・・・・そうですわね、お逢いにならないほうがいいかもしれません」
 黙って二人の会話を聞いていた藤姫が、溜息混じりに呟いた。
「藤姫?」
 あの事を伝えるべきかどうか迷っていたが、藤姫は伝えたほうがあかねの為だろうと結論付けた。
 しかし告げにくいことに変わりはなく、逡巡する藤姫。
 口元に手をあて言いよどむ藤姫に変わって答えたのは、控えていた頼久だった。
「友雅殿には帝の妹宮であらせられる女二の宮様の御降嫁が内定しています」




一瞬、あかねの頭が真っ白になる。耳鳴りがして音が聞こえない・・・・・・。





「・・・・・それは・・・結婚するってこと?」
 震える声を抑える事は出来なかった。
 お互いの道を歩むと分かっていたはずなのに、それなのに何故、こんなにも胸が痛いの?
 友雅が結婚する・・・・。
 その事実はあかねの心を打ちのめす。
 (自業自得だわ!それに自分だって同じように結婚を決めたじゃない。なのにあの人の結婚は許せないなんて自分勝手よ!)
 心の中で自分を罵倒しても、友雅が結婚する事実を受け入れられない。
 自分も同じ事をしているのに。
 友雅以外の人と結婚するのに。
 彼を責めるなど出来はしない。





 ・・・・違う・・・・。
 同じこととかじゃなくて、忘れられないのは自分だけという事実に傷ついている。
 




「神子様・・・・・・」
 体を震わせ俯いてしまったあかねを、藤姫が痛ましげに覗き込んだ。
「神子・・・あかね様・・・・。友雅殿とて本意ではありますまい。しかし帝のご意向には誰も逆らえないのです。お気をしっかりお持ちになって・・・・」





 本意とか本意じゃないとか関係ない。
 縛られることが嫌いだったあの人が、結婚する・・・・。
 それはきっと、あの3ヶ月を過去として整理出来たからではないだろうか・・・・。
 自分はまだ、あの日に縛られたままなのに・・・・・・。





「・・・・・・大丈夫・・・だよ」
 あかねを気遣う藤姫の手にそっと手を重ねた。
 その左手を。
 あかねは目に映る指輪を見つめ、心にそれを贈ってくれた人を思い描いた。
 きっと一緒に生きて行ける、そう感じた人。
 これ以上、人を傷付け裏切ることは出来ない。








「ごめんね、・・・・ちょっとびっくりしちゃって・・・」
 あげた顔は、切ないほど綺麗な笑顔だった。
「教えてくれてありがとう、頼久さん」
「・・・・・いえ、差し出がましいことを申し上げました」
 片手をついて深々と頭を下げる。
 あかねは、いいえと首を振った。
「私こそごめんなさい。それに私もお互い様だし・・・・」
「お互い様?どういうことですの?あかね様」
 小首をかしげる藤姫の目の前に、ひらひらと左手を見せる。
 その指に輝く初めて見る光。
 透明なのは水晶のようだが、ここまでまばゆい光を放ちはしない。
 藤姫は不思議そうにあかねを見上げた。
 あかねは泰明にも頼久にもそれを見せて言った。






「これは約束の指輪。永遠の誓い」
「永遠の誓い?」
「そうよ、藤姫。ずっと一緒にいようって約束。・・・・私ね、秋に結婚するの。だからお互い様」
「あかね様・・・・」
「私は絶対に帰るわ。あの人にも逢わない。・・・・・もう、それぞれの道を進んでいったほうがいいと思うから・・・・・」
「それで、よろしいのですか?」
「ええ・・・、逢ったら私自身、何を言うかわからないもの。優しいあの人をもう二度と傷つけたくないの。私は逢わないわ」
 きっぱりと断言したあかねだった。






                                          <続>
                                          02/7/21








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