左大臣家で、あかねにとって5年前のあの時と同じ部屋を与えてもらった。
 しかしこちらの世界の時間は、まだ一年しか経っていない為、庭の眺めなどはあかねの記憶とほとんど変わっていない。
 藤姫の計らいにより、側に付いてくれた女房も神子時代と同じ女性で、あかねを少し安心させた。






 泰明が占った結果、再び時空の扉が開かれるのは、あかねがこちらへ来た日から丁度60日後ということだった。






 あかねの立場は、左大臣家の遠い親戚の姫という形をとることになった。
 あかねは女房として働けるわけでなく、またその存在をあまり人に知られたく無い。
 ただすべてを隠して左大臣家にいるほうが、かえって噂好きの貴族の興味をそそる為、うその素性を語ることにしたのである。
 そしてあかねの過ごす部屋に近づけるのは、選ばれた小数の者のみ。
 『龍神の神子』の存在を外部に洩らさないために・・・・・。
 他の八葉に気付かれない為に。






「・・・・眠れない・・・・」
 屋敷の中が寝静まった頃。深い溜息とともにあかねが呟いて、褥から白い夜着に包まれた体を起こした。
 あかねの体の動きにあわせて、サラサラと肩から髪がこぼれ落ちる。
 すでに深夜といっていい時間。
 あかねはこちらの世界に来てから、慢性的な不眠に悩まされていた。
 あちらにいる時も、たまに眠れない事があったが、京へ来てからは毎日。
 つらつらと眠りに落ちても、それはとても浅く、ほんの少しの物音で目を覚ましてしまう日々。
 今夜も床につき、目を閉じて眠ろうとしたが、なかなか寝付かれず、意味の無い寝返りを繰り返すばかり。
 あかねは頭を抱えて息をつくと、掛けてあった袿を羽織り、そっと妻戸を開いた。
 柔らかい星明りに満たされた景色は、昼の日の光が溢れていた時と違う印象をあかねに与えてくれる。
 あかねは春の夜の肌寒い空気を、思いっきり吸い込んだ。
「お月様はもう沈んだのかな?」
 簀子縁に腰を下ろし、欄干に腕を付く。
 あかねは降る様な星空を見上げて、そっと目を閉じた。
 虫の声も風の音もない静寂に包まれた夜。
 もしかしたら、静か過ぎて眠れないのかもしれない。
 いつもは必ず何かの音がしていて、人工の灯りもどこかから入ってきていたから。むこうでは、真の闇も怖いほどの静寂も経験がない。
 神子として生活していた頃は、昼間京を怨霊退治や呪詛を探すために走り回り、疲れきって帰宅し、何も考える暇なく眠りに落ちていた。
 でも、今は・・・・・。





 独りになると考えてしまう。
 5年前のあの時、もう一つの選択をしていたらどうなっていただろうか、と。
 すべてを捨てて恋に飛び込むには、まだ幼かったあの頃。
 自分が子供だと分かっていたから、鬼に追い詰められた極限状態で芽生えた恋に不安ばかりを感じていた。
 自分を信じられなくて、友雅も信じきれなくて、優しい両親を捨ててまで友雅の腕に飛び込む勇気を持てなかった。
 では、今なら?今、友雅と出会ったらどうなのだろう?
 そう考えながら、あかねはふっと自嘲した。
 『もし・・・』は、すでにないのだと・・・。
 今はもう、あの時とは同じではない。
 自分にも、友雅にも婚約者がいる。
 お互い新しい人生を歩いている。
 一生の内、一瞬だけ重なった運命の糸。それを断ち切ったのはあかね自身。
 再び交わることはない・・・・。
 そしてまた・・・・・。交わらせてはいけない。自分の為にも、友雅の為にも・・・・。







「あかね殿!いかがなされましたか!」
 突然かけられた聞きなれた男性の声。
 あかねがそっと目を開けると、庭に心配顔の頼久が立っていた。
 いつもはその身長差から見下ろされるばかりのあかねだが、濡れ縁に座っている為、一段低い庭に立つ頼久と無理なく視線を合わせることができた。
 あかねはなんでもないと首を振ってみせる。
 だが頼久は、眉間に皺を寄せあかねの側に歩み寄った。
「夜風は体に毒です。お部屋へお戻りを・・・」
「大丈夫。寒くないですから」
「寒くなくとも、このような場所にいらしては、誰に見咎められるかわかりません。・・・・夜は特にお気をつけください」
「・・・そうですね・・・。ごめんなさい」
 頼久が暗に言わんとしている事に気が付いたあかねは、素直に頭を下げた。
 京では夜陰に潜んで、恋を仕掛けるのが当然のように行われている。
 今も女房達が引き込んだ恋人が、この屋敷のどこかにいるかもしれない。
 そんな男に姿を見咎めれられたら、あかね自身が恋の相手にされるかもしれないのだ。
 あかねの過ごす対には、人が近づかないようにしているとはいえ、起きている者の少ない深夜。何があるかわからない。
 あかねは自分の身を隠すように、羽織っていた袿をかき寄せた。
「・・・どうかなさいましたか?あかね殿」
「ちょっと眠れなくて・・・・。静か過ぎるのが駄目みたいです・・・・」
「そうですか・・・・」
 寡黙な武士は、厳しい表情をほんの少し優しくした。
 余計な詮索をせず、あかねを見守ってくれるこの優しい瞳。
 安心できるから、甘えてみたくなる・・・・・。
 あかねは、頼久を見つめ小さな声で尋ねた。






「・・・少し、私の話を聞いてもらえませんか?」





                                   <続>
                                   03.01.27








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