暖かな眼差しがとても安心できるものだから、揺れる気持ちを聞いてもらいたかった。




 
 落ち着いて話したいからと、あかねは控えようと遠慮する頼久を階に座らせ、自分もその隣に腰を下ろした。





「・・・・長い長い話になります・・・・」





 そう言ったきり口を閉ざしたあかねは、揃えて立てた膝に頬杖を付き、星明りに仄かに浮かび上がる桜の花を見上げた。
 頼久はただ黙って周囲に気を配りながら、あかねが口を開くのを待っている。
 二人の間にあるのは、沈黙のみ・・・。けれどそれは決して居心地の悪いものではない。
 ほんの少し体をずらせば肩が触れるような近い位置でお互いの存在を感じながら、二人は何も語らず優しい静寂に身をゆだねていた。
 





 どれくらいそうしていただろう・・・。
 ずいぶん長くも感じたし、ほんの少しのような気もした。
 ほぅ・・・、と深く溜息を吐いたあかねが、やっと口を開く。
「5年・・・・、5年は、長かったのか短かったのか・・・・」
 近くにいても聞き逃してしまいそうなほど小さな声だった。
 頼久はすこし頷き、黙ってあかねの言葉を待った。
 あかねは何度も唇を開きかけ、見つからない言葉に戸惑い、きゅっと唇を噛み締める。
 頼りなく揺れる瞳が、微かに潤んで見えるのは、頼久の気のせいだろうか・・・・。
 自分の爪先に視線を落としたあかねは、ポツリポツリと考えながら言葉を紡ぎ始めた。





「あの人の事を、ずっと忘れようとしていました・・・・・・。もう二度と逢えない過去の人として・・・・・。あの時別れを決めたのは、他の誰でもなく私だったから・・・・。
あの人は誰もが認める立派な大人で・・・・、反対に私は自分に自信を持てない子供で・・・。・・・・
最初に出会った時は、優しくからかってくるあの人が苦手でした・・・。でもすぐに、冷静に広い視野で物事を見て判断を下せるあの人に憧れを抱きました。
それと分からないよう自然に、私や藤姫を気遣ってくれるのが心地よくて安心できて・・・。
・・・・・もちろん優しかったのはあの人だけでなく、頼久さんや泰明さん、イノリ君、永泉さん、鷹通さん、天真君に詩紋君、皆優しかった・・・・。でも、その優しさがとても辛い時がありました・・・・。
神子を守る八葉だからと、私を庇って傷ついていく。私の力が足りないせいなのに、皆は私を守ってくれた・・・・。
そんな皆をなすすべもなく見ているしかない、力の無い私が嫌だった。
怨霊は怖い、人が傷つくのは嫌、でも私の力が足りなくて、私のせいで皆が傷ついていく・・・・。自己嫌悪で笑顔を作ることさえ出来なくなりそうでした・・・。
けれど藤姫や八葉の皆に、よけいな心配をさせたくなくて、ただがむしゃらに怨霊を倒し札探しに没頭しました。
・・・・そんなある日、私は物忌みで屋敷から出られないことに苛立ちと焦りを感じていました。
物忌みは八葉のどなたかと過ごさなければいけないと分かっていたけれど、独りになりたくて、藤姫に嘘をついて手紙も出しませんでした。
・・・・でも、物忌みの日の朝、偶然左大臣家を訪れたあの人を、藤姫は私に呼ばれたのだと思ってあっさりと通してしまって・・・・・」






『何をお悩みなのかな?姫君・・・』





 作り笑いで無理に明るく友雅を迎えたあかねに、彼は開口一番そう言ってあかねの前に座った。
 誰も気がついていないと思った。
 心の中のどうしようもないもどかしい想いを、誰も気付いてくれないと思っていた・・・。
 でも友雅は、苦笑して誤魔化そうとしたあかねをぴしゃりと叱ったのだ。





『そのように無理に笑っていても、何も良い事はない。自分の悩みの重さに耐え切れず自滅してしまうよ』






 そして友雅は、反論できず黙ってうな垂れたあかねの頭を大きな手で包み込むように優しく撫でてくれたのだった。




 暖かな手の温もりが、とても安心できるものだったから・・・・・。




 零れる涙をこらえることが出来なかった・・・・。





『辛かったら辛いと言いなさい。怖ければ怖いと、嫌なことは嫌と、正直に言いなさい。君の体も心も守る為に私達がいるのだからね』





 友雅の深い思いやりに満ちた声を聞きながら、あかねは京に来て初めて声を上げて泣いた。




 友雅の腕の中で・・・・・。





「追い詰められていたのかもしれません。自分自身に・・・・・」



 静かに語るあかねの言葉で、頼久は初めて神子時代のあかねの心中を知った。
 頼久達八葉の前で、あかねは常に前向きで、自分のやるべきことをやる、しっかりとした『龍神の神子』だった。
 だが、どんなに責任感の強いしっかりした『龍神の神子』でも、まだ16歳の少女だったのだ。葛藤があって当然の事。
 見知らぬ土地、見知らぬ人々に囲まれ、いきなり『龍神の神子』に祀り上げられた時の戸惑いは、いかばかりであっただろう・・・・。
 それなのに、あかねの苦しみに気付いてやれなかったことが悔やまれ、頼久はグッと拳を握りしめた。





 静かに淡々と昔を語るあかねは、もうあの頃の少女ではない。





 あかねはしばし間を置き、胸に引き寄せた膝に顔を埋めて、くぐもった声で再び心情を吐露し始めた。
「自分を殺してまで無理をしなくていいと教えられて、ふっと肩が軽くなった気がしました・・・・・・。あの人は普段は何も言わなくて、私が困っていると、さりげなく新しい道に続く何かを示してくれました。答えは自分で見つけなくてはいけなかったけど、いくつもの道を教えてくれました。
・・・・・そんなあの人の懐の深さに憧れました。さりげない思いやりのある人になりたいと。・・・・・それがいつの間にか、恋に変わっていたみたいです」
 




 友雅の姿に目を奪われ、声が聞こえたら頬が染まるのが分かった。耳元に心臓があるのかと思うほどの激しい鼓動が、友雅に聞こえそうで慌てた事もある。
 言葉を交わすのが嬉しくて、でも緊張してしどろもどろになったことも少なくない。
 そんなあかねを友雅は、時にからかい、時に黙って、あかねが落ち着いて話すのをじっと待ってくれていた。




「片想いだと思っていました。それに恋だの愛だのと言っている場合ではないとも・・・・・」





 荒れていく京、思うように龍神の神子としての力を使えないもどかしさ。
 抱いてはいけない想いだと、叶わぬ想いだと思っていた。






「・・・・・いっそ、あのまま片想いだったら、こんなに悩まなくてすんだのかもしれない・・・・・。
・・・・・ごめんなさい、こんな話ばっかり・・・・。でも、誰かに聞いてもらいたくて・・・・・・」
「いえ・・・。お気になさらず。・・・ただ私は気の利いたことを言えぬ武骨者ですから・・・」
「武骨者だなんて、そんなこと無いです。こんな話、他の誰にも言えません・・・。蘭ちゃんともあの人の事は、あまり話さなかったし・・・・。5年ぶりです、こうやって
話すのは・・・」
「そうですか・・・・」
 あかねは膝に埋めていた顔を、ほんのすこし傾けて頼久を見上げた。
 その視線に気がついて、頼久がそっと微笑を見せた。
 あかねの瞳が、かすかに赤く潤んで見えるのは頼久の気のせいだろうか?
「・・・・ここに召喚される直前、蘭ちゃんに言われました・・・・」
「蘭殿に?」
「『あの人の面影をずっと追っている』って。・・・・言われて初めて気がつきました。本当にその通りだなって。・・・・正直なところ、5年の間に沢山の恋をしてきたんです。
でも相手の男性に、どこかあの人と似たところを探していた気がします・・・・。蘭ちゃんに指摘されて、初めて自覚して・・・・。
あの人の事を思い出した時にこちらへ来てしまったから、動揺も大きかったのかもしれないですね。・・・・別れを告げたあの日に、ふたりの道は別れてしまったのだと、分かっていてもやっぱり・・・・・。でも、もうこの想いは忘れないといけない。私には『彼』がいるから・・・」
「・・・・」
「・・・・私が一緒に生きていこうと思った人も、あの人に似ているのかもしれない・・・・。容姿じゃなくて、優しさや思いやりが。・・・・・とても尊敬できる人です」
「そうですか・・・・」
「はい、凄く素敵な人で、私には勿体ない人です。・・・・・早く帰って逢いたい・・・・・」
 早く『あの人』の存在を感じるこの世界を離れたい。優しい婚約者に逢えば、きっとこの切ない想いを断ち切ることができるだろうから・・・・・。




「・・・・ありがとう、頼久さん。話を聞いてくれて・・・・」
 ほんの少し口調が軽くなったあかねに、頼久が優しく目を眇めた。
「いえ。気分が晴れましたか?」
「うん、ちょっと楽になったかな?・・・・昔の話を聞いてもらって、少しすっきりしました」
 膝を抱えて丸くなっていると、暖かくて子供に戻った気がして何故か安心できた。
「頼久さん、もう少しこうしていていいですか?」
「少しだけなら。・・・あまり遅くなると体に障りますから」
「・・・・・ありがとう、頼久さん」
 そっと目を閉じ、優しい空気に身を委ねた。
 頼久が隣にいる。それがとてもとても安心できた。
 この安心感は、きっと誰にも作れない。今まで言えなかった友雅の事を語れたのも、頼久だから・・・。
 余計な事を言わない、人を肯定しなければ否定もしない。ただ聞いてくれるだけの人が、あかねにはとてもありがたかった。





 サラサラと葉擦れの音だけが聞こえる静かな夜更け。
 視線さえ合わせず、ただ二人、階に座って時を過ごす。
 あかねは京へ来て初めて、穏やかな気持ちになれた気がした。
 






 微かに聞こえた、玉砂利を踏みしめる音に反応したのは頼久だった。
 目を閉じて、まどろみかけていたあかねは、丸まったまま・・・・・。





「誰だ!!」




 あかねを背中に庇うように前に立った頼久は、鋭い誰何の声を上げた。





「怖いねぇ・・・・。おや・・・・。邪魔だったかな?頼久」






「友雅殿!!」





 5年間、いつも耳に響いていた深い艶やかな声音に、あかねの意識は一瞬にして白くなった。







                              <続>
                              03.1.31












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