「本当に好きだったんだよ……」






 屋上から卒業を祝う花束を抱えた彼を見つめながら、あたしはそっと呟いた。





『変わらない気持ちなんてない』
 そういった彼の心を、あたしは開くことが出来なかった。
 どれだけ好きだって言っても、彼は困ったように微笑むだけだった。
 




 彼が受けた心の傷は、あたしの声が届かないくらい深くて。
 あたしは自分の気持ちを彼に押し付けることをやめた。





 一方的な想いは、彼を困らせるだけだってわかったから。






 変わらない気持ちだってあるってことを、あたしは彼に信じてもらえなかった。
 それほど彼の傷は深かった。





 
「誰よりも好き……。信じてもらえなくても、受け取ってもらえなくても、好きだから」
 あの人には、もう届かない気持ち。
 それでも、この想いはなかったことになんて出来ないよ。






「大好きだよ。……卒業おめでとう。バイバイ」
 あたしは、周りを取り囲む女生徒達に微笑む彼へ、気付かれていないと分かっていながら手を振った。






 さようなら……。
 あたしの好きな人……。














「あ、当たっちゃった」
 家に届いたTV局からのハガキ。
 友達に頼まれて出した、トーク番組の観覧申し込みだったけど、どうやらめでたく当選したみたい。
 あたしは、ちょうど大学に行くところだったので、バッグにそのハガキを入れて家を出た。
 





 
「聡美〜、頼まれてたやつ当たったよ」
 教室に入ってすぐ、聡美を見つけたあたしは、ごそごそとバッグからハガキを取り出して彼女の前に置いた。
「あ、これ…」
「好きな俳優が出るとかで行きたいって頼まれたやつ。渡しておくね」
 当選ハガキを見て喜ぶとばかり思っていたけど、聡美はハガキを手に取ると申し訳なさそうに笑った。
「ごめん。これ、私の分も当たってたんだ。」
「あらら。でもはずれるよりマシだね」
 確か、絶対行きたいから何枚も名前借りて出すって言ってたな。
「ねえ、むぎ。この日、暇?よかったら私と行ってくれない?」
「ん?何日?」
 聡美の手からハガキをとり、日付を確認する。
 うん、この日なら予定はないな。
「いいよ。でも他に行きたい人いないの?」
「いると思うけど、争奪戦になったら嫌だもん。外れた人ばっかりだしさ。でもむぎはちゃんと当たってるし、私もむぎとなら気がねなくしゃべれるし」
 そんなに外れた人がいたのか。
 すごい競争率だったんだ。
「それなら行くよ。で、ゲスト誰?」
「ええっ!?むぎ知らないの?」
「知らないよ。いつもこの番組見ないし、聡美に出してって頼まれたから出しただけだし」
「はぁ……、さすがむぎだよ。この回は、ゲストの所為でかなり話題になったのに〜」
「話題?」
「今までトーク番組に一切出なかった人なのよ。若い女性に人気の歌舞伎役者」
「……歌舞伎役者って」
 まさか?
「松川秀之介だよ!」
「依織くんが?」
「え?」
 あ、そうか。聡美は依織くんの本名を知らないんだ。





 本格的にTVに出始めたのは卒業間近の頃で、その時の名前も松川右京で、本名は名乗らなかった。
 そのまま襲名して、依織くんは現在、秀之介を名乗っている。





「ううん。なんでもない。そっか……。松川秀之介か…」
 依織くんの名前なのに、本名じゃないからか、知らない人みたいに感じてしまう。
「どう?行かない?」





 あの家から、みんなが出て何年経つだろう。
 皆、自分の夢や責務を着実にこなしていっている。
 あたしはいったいあれからどう変わっただろう?
 ……きっと何も変わっていない。
 気持ちはあの時、置き去りにしたまま……。





「むぎ?」
「うん。……行く」
 行けば何かが変わるかもしれない。
 あたしの記憶にあるのは、あの家を出るときに見た依織くんの優しい微笑みが最後。
 今、現在の依織くんの姿を見れば、高校時代から抱えてきたこの気持ちに終止符を打てるかもしれない。
 そう思って、あたしは聡美の誘いに頷いた。


 



 あたしはカメラに向かって微笑む依織くんを、依織くんの背後にセッティングされた観覧席から、モニターを通して見ていた。
 あの頃より、シャープな雰囲気を増した依織くんが、ファンからの質問に丁寧に答えていく。





 歌舞伎の話、出演したドラマの話、弟の皇くんの話、そして……恋の話。
 あたしは依織くんが恋の話をするのを、少しの驚きとともに聞いていた。
 後悔している恋がひとつだけあると、依織くんは言った。
 優しい微笑みは絶やさないまま。
 後悔している恋。 
 それはきっと雪音さんのことだろう。
 でも、あたしに話してくれた時とは違って、こんなに穏やかに話せるなら、もう大丈夫だね……。
 あたしは、観覧席の隅っこで、恋について話す依織くんをじっと見詰めていた。






 自分の夢を一つずつ叶えていき、次の夢を叶えようとしている依織くんは眩しすぎて。
 あの時と変わらないまま流れる日々を過ごすあたしは、ただ黙って依織くんを見ていることしか出来なかった。






 こんなに近くにいるのに、手を振ることさえ出来ない。






 そうだね、依織くん。
 変わらない気持ちなんてないんだね。
 あなたを見てると、本当にそう思う。






 だって、依織くんと別れた時よりも、ずっとずっとあなたを好きになってる。
 あなたへの届かぬ愛が、心の中に降り積もっている……。




 別れたあの日よりも、もっともっと愛してる。



 深みを増したこの想い。
 二度と届くことはないのに……。










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