「お前が好きだ。付き合ってほしい…」
 屋上のドアを開けたとたん、風に乗って聞こえてきた少年の声。
 ちょうど告白タイムにいき当たってしまったらしい。
 それに気付いた彼は音を立てず、すっとしなやかに身を滑らせて屋上に出ると、彼らを邪魔しないようにそっとドアを閉めた。
 彼らは、出入り口から見えない場所に立っているようだ。
 告白という、重大な瞬間を邪魔しないように、彼は静かにそこから離れようとした。






「……ごめんね」




 申し訳なさそうな女の子の声が彼の耳に届き、はっとして動きを止める。
 それはとても聞きなれた声。
 ただしいつも聞くのは、こんなに戸惑った控えめな声ではなく、元気いっぱいで笑って怒る生き生きとした声だったが。
「…全然ダメか?俺が嫌いか?」
「嫌いじゃないよ!嫌いじゃないけど……」
「返事はすぐじゃなくてもいい。考えてくれれば。それとも……、考えてももらえない?」
「……ごめんね」
 彼女の返事は、最初と同じ。
 姿をみなくても、うつむいて唇を噛み締めている様子が手にとるように分かる。
 彼はそこから動かず、腕を組んでじっと姿の見えない二人を窺った。
「全然、可能性ないのか?」
「……ごめん」
「もしかして誰かと付き合ってる?それとも好きなヤツがいるのか?」
「……」
「なあ…?」
 黙りこんでしまった相手を、少年が少しだけ苛立ったように促した。
「……いないよ」
 ぽつりと落ちた言葉。
 それを物陰で耳にした彼は、目を伏せふうっと深く物憂げな溜息を吐いた。
 反対に、告白している少年の声が僅かに力を取り戻す。
「じゃあ、まだ俺にもチャンスはあるよな?」
「それは…」
 少年の勢いに、気圧されたように少女が口ごもる。
 しかし自分の想いを告白し、気が昂っている少年は少女の戸惑いに気付けないようだった。
「覚えておいてくれ、俺はお前が好きだ。お前に好きなヤツがいないなら、俺は諦めないからな!」
「!!ダメだよ!私は…」
「俺のこと、嫌いじゃないんだろ?だったら俺はお前に好きになってもらうように頑張るさ。この気持ちは俺のものだから、お前の指図は受けないからな」
「あ……」
 少年は少女に向かって高らかに宣言すると、少女の言い分も聞かずに屋上から走り去っていった。
 取り残されたのは、告白された少女と、物陰で壁に寄りかかり瞳を閉じ腕を組んでいる彼……。






「まいった……」
 むぎは空を仰いで大きな溜息を吐くと、そばにあったベンチに腰掛けた。
 冬の冷たい風がむぎを弄っていくが、恥ずかしさとほんの少しの嬉しさに火照った頬の熱を冷ますにはちょうどよかった。
 告白されても、それを受けることは絶対にないけれど、やはり自分だけに向けられる特別な好意は嬉しい。
「エゴイストだなぁ…」
 大好きな人と想いが通じていながら、他の人に好かれて嬉しいと思うなんて。
 むぎの大好きなあの人。
 むぎから告白して、想いが叶って。でも過去の恋に深く傷ついていたあの人と、お互いに傷つけあって……。
 それを乗り越えて固く想いが結ばれたのは、今でも奇跡と思う。
 大好きで、大好きでたまらない……。






 いつだって一緒にいたい。
 それなのに……。






 彼はこの祥慶学園で特別な存在。
 生徒も教師も一目置く存在。






 ラ・プリンスの称号を冠するあの人。
 





 ラ・プリンスは祥慶学園で、いつでも注目されている存在だ。
 それこそ一挙手一投足まで。
 彼らは本当に王子様的存在なのだ。
 





 だからむぎは口を噤む。
 ラ・プリンスのあの人と付き合っているなんて、言えるわけない。
 取柄といえば元気なだけのむぎに、祥慶学園のカリスマである彼の恋人です、なんて言えない。
 彼に憧れる女生徒の目が怖すぎて……。
 そして素直に信じてもらえないから……。






 だから告白してくれた人に答えられなかった…。
 彼氏がいます…なんて。





「好きな人か…」
 ほうっと吐き出した息が、白く散っていく。
「……むぎ」
「い…、松川さん?」
 突然現れた依織に驚いたむぎだったが、いつものように学校用の呼び名に言い換える。
 それに依織は僅かだが皮肉げに口の端を上げた。
「誰もいないよ?」
 確かにこの寒空の下、寒風を遮るものの無い屋上に来るなどという物好きはいなかった。
「うん…、でもね」
 依織に向けられた笑顔は、いつもの輝くようなものではなくて、どこか後ろめたさを含んだものだった。
 依織はゆっくりと近づき、むぎの隣に腰を下ろした。
「どうしたの?」
「ん?」
「不機嫌そうだよ?依織くん…」
 首を傾げてむぎが隣に座った依織を見上げる。
 むぎの表情はすでにいつものものになっていて、つい先ほど告白されていたなど微塵も感じさせない。


 

 それが何故か気に障る……。




「不機嫌そう?」
「うん。何か雰囲気が変……」
「変とは酷いな。……むぎはどうしてここに?」
「…ん、と……。気分転換、かな」
 何気ないふりを装っていても、むぎの視線が泳いでいる。
 依織はそう…、と頷いて、さらりと長めの前髪を掻きあげると、ちらりとむぎを流し見た。
「告白…」
「え?」
「告白されてたんじゃないのかい?」
「〜〜〜〜。見てたの〜?」
 顔を真っ赤にして焦るむぎ。
 依織は顔にかかる長い髪で、むぎから冷たい微笑を隠した。
「聞いてた。あいかわらず、モテるね」
「依織くんほどじゃないもんっ!」
 からかわれたと思ったのだろう。むぎは頬を膨らませて言い返す。
「そうかな?でも、僕は嘘は言わないよ?」
「嘘?」
「『付き合ってる人はいない』」
 先ほど、相手に向けたセリフを繰り返され、むぎはちょっと怒って顔を顰めた。
「……いつから聞いてたのよっ!」
「たぶん、告白のほとんど最初からじゃないかな?」
 あっさりと返された依織の答えに、むぎは言い逃れが出来ないと知る。
 むぎは膝の上に視線を落とし、いままでの勢いはどこへやら…、言いにくそうにもごもごと言葉を紡いだ。
「だって……。依織くんが卒業するまで、付き合ってることを隠してもいいって言ってくれたよ。だから……」
「それは許したけれど、『好きな人はいない』って言ってもいいとは許してないよ?」
 うわべだけの優しい笑みで、依織がきっぱりとむぎの言い訳を切って捨てる。
「だって…」
「だって、何?」
 いつもより厳しい追及に、むぎの身体がますます小さく縮こまった。
「だって好きな人がいるって言ったら、絶対に『誰?』って聞かれるんだもん」
「教えてあげればいいだろう?」
「ラ・プリンスの松川さんですって?…そうしたら、叶わないからやめておけって言われるんだよ」
「言われたの?」
「私じゃないよ。友達が…」
「叶ってるからいいじゃないか」
「……とにかく、色々とあるのよ」
 きっとラ・プリンス当人の依織に説明しても分かってもらえないだろう。
 そう考えて、むぎが溜息を吐く。
 祥慶学園の生徒にとって、ラ・プリンスは特別な存在なのだ。
 一年の時から、ラ・プリンスでありディアデームにも選ばれたことのある依織は、絶大なる人気と憧れを集めている。
 そんな彼と付き合ってます、なんて言っても、きっと信じてもらえない。
 そして彼との違いを懇々と説明されるくらいなら、最初から言わない方かいい……。
「…負担?」
 ポツリと呟かれたそれに、むぎがふっと依織に目をやった。
「えっ?」
「僕と付き合うのは負担なのかい?」
「何言ってるの?依織くん?負担なんかじゃないよ!」
「だったらどうして僕と付き合うのを、そこまで嘘で塗り固めて隠さなければならない?」
「……だって信じてもらえないから」
 これ以上目立つのは嫌だ。
 ただでさえラ・プリンスのファンに、睨まれているのに…。
 そして、依織と釣り合わないと言われるのも腹がたつ……。
「そう……」
「依織くん?」
 いつもより低い声で返事をした依織を、むぎは不思議そうに見返した。





 
 その時、屋上へ続く階段からバタバタと足音が聞こえてきた。
 そして賑やかな女の子達の声も……。






 それに気付いて、むぎがはっと顔を上げる。
「やばっ!じゃあね、依織くん」
 女の子達が屋上に現れる前に依織から離れようと、むぎが慌ててベンチから立ち上がろうとした。






「えっ?」
 ぐっと腕を引かれたと感じた次の瞬間、視界がぐるりと回る。
 次に見えたのは青空と、むぎを見下ろす依織の美貌…。
 シャラリと依織のペンダントのチェーンが音を立てる。






「もう我慢がならないね…」
「依織くん!?」
 ベンチに押し倒されたのだ、と理解したのは数度の瞬きの後だった。
「ちょっとっ!人が来るっ!」
「かまわないよ」
 バタバタと暴れるむぎを身体で押さえ込み、薄く笑んだまま依織が顔を寄せる。
「依織くん!!」
 唇が微かに触れる。





 ドアが、女の子の可愛らしい賑やかな声と共に大きく開いた。
 











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