文机からエッセイ
【天山山脈の謎の湖イシク・クルの伝説】
 ※本文は2006年1月に認めたものを修正加筆したものであることを予めお断りしておきます。


イシク・クル位置図
(「週刊シルクロード紀行12」朝日新聞社より)

 海抜は1609メートル、南米のチチカカ湖に次ぐ世界で2番目の高山湖で、少し塩分を含んでおり、面積は琵琶湖の9倍ほどである。ちなみに、キルギスは国土のほとんどが1000メートル以上の山岳地帯で形成されている。しかし、この湖は真冬でも凍結しない。「イシク・クル」とは現地キルギス語で「熱い湖」の意味がある。                 .
 天山山脈の山懐に眠る湖イシク・クルは、キルギス共和国の首都ビシケクの東約190キロに位置し、中央アジアの真珠、天山の真珠、キルギスの海、幻の湖、謎の湖など多くの名で形容されている。


天山の謎の湖イシク・クル

朝日に映えるイシク・クルはまさに天山の真珠

 そして、驚くべきは、この神秘のイシク・クルに足を踏み入れた日本人が既に明治時代にいたことである。名前は西徳二郎、外交官(のちには外務大臣)であった。彼は、1880(明治13)年ロシアからの帰途、この地を訪れた。
 ところで、イシク・クルを謎の湖と言わせているのは、湖底に7世紀から15世紀にかけての住居跡やチムール帝国の離宮の煉瓦積み建物跡、人の手によってつくられた石積みの跡、水差しやヤカン、土器といった生活用品などが沈んでいるからである。


湖底に沈んだ住居跡
(「シルクロード第9巻」 日本放送出版協会より)
 そして、このときの旅の様子を『中亜細亜記事』(明治19年 陸軍文庫)に著わし、そこには次のように記されている。「この湖水の奇なるは水底に家屋の跡あり、且つ時々人骨、破瓦、古器の類沙灘に上ることあり。土人相伝え言う、上古ここに一大都府あり。その中に井あり、一日、水この井より洶涌(きょうよう)して悉(ことごと)くその都府および近傍の地を没すと」。 そして、さらに興味深いのは、イシク・クルの水は井戸から勢いよく湧出し、周辺の町や村を湖底に沈めたという伝説があるという西の後半の記述である。確かにこれを裏付ける伝説は多い。そのいくつか紹介してみよう。


湖底に残るチムールの離宮の跡
(「湖底に消えた都」所収)


湖底から発見された水差し
(「N.M.Przhevalskiy.Issyk-Kul Memorial Complex」所収)
 一つはこのような話である。

 あるとき私は、驚くほど人の多い街の通りを歩いていました(と、ある老齢の賢人が次のような物語を語ってくれた)。私は通りすがりの人に尋ねました。「この街はずいぶん昔からあったのかね。」 街の人は言いました。「そうさね、この街は古い古い街でさ。けれどもいつごろからあったのかは知らないし、先祖たちもそのことは何にも知らなかったのさ。少なくともわしらにそんなことを話したことはなかったよ。」


湖底から発見された土器
(「N.M.Przhevalskiy.Issyk-Kul Memorial Complex」所収)
 それから500年して、私はまた同じ場所を歩いてみたのですが、いつかあった街は跡形もありませんでした。私は前に都のあったところで草刈りをしていた農民に尋ねました。「ここにあった都はずいぶん昔に壊されたんだろうかね。」「おじいさん、おかしなことを聞きなさるね、この土地はおじいさんが今見ているのと少しも変わっていないんだよ」と、農民は答えたのです。「しかし、以前ここには大きくて立派な街があったんじゃなかったかね。」「いや、ありゃしなかったよ。わしらはそんな街なんて見たこともないし、それに、わしらの親父もじいさんもそんな話はしなかったね。」
 それから500年して私がふたたびここに戻ってみると、そこは一面の海でした。岸の近くにみすぼらしい漁師の小屋が点在していました。岸辺で網を広げている漁師の一群を見て、私は近寄って尋ねてみました。「この土地が水をかぶってから、ずいぶんたつんだろうね。」「何てことを聞きなさるのかね。ここはずっと昔から今と同じように海だったんだよ。」(『シルクロード第9巻』日本放送出版協会より)


ジューコフ著
「湖底に消えた都」(加藤九祚訳 角川新書)
 もう一つは次のような話である。

 湖のある場所にはむかし都市があった。住民は特別の性質をもった井戸を利用していた。この井戸の水を汲み出した後は必ず鍵をかけるか、それとも重い石をのせなければならなかった。ひとりの少女が鍵番の聖者から鍵をうけとり、井戸を開けて水を持参の壺にみたした。そのとき彼女の恋人が近づいたので、二人は話に夢中になり、井戸に鍵をかけることを忘れてしまった。そのうちに水が井戸からふき出て、都市と谷を埋めた。」(ボリス・ジューコフ著 加藤九祚訳『湖底に消えた都』角川新書より)
 とりわけ、二つ目は井戸から噴出した水が町を埋めたという伝説である。井上靖は、これをモチーフに短篇小説『聖者』を1969年7月の『海』に発表している。

 また、水と直接関わるものではないが、イシク・クルの東にあるサンタシ峠にまつわる伝説も趣き深い。「サンタシ」とは「千の石」という意味で、名付けたのは14世紀の中央アジアの覇者チムールだとされている。話は次のようなものである。

サンタシ峠位置図セミョーノフ著「天山紀行」
(樹下節訳 ベースボール・マガジン社より)

この湖底に住居跡などが沈んでいる
 「イッスィク=クルの岸辺を通過するさい、一人が一つずつ石を拾っておくよう、兵たちに命じた。峠を通るときチムールは、兵たちに、拾ってきた石を峠にある湖の岸に積み上げろと命じた。積み上げられた石の数が、峠を越えた兵の数に等しかったのは、もちろんである。その後チムールは、数々の戦闘に勝ち、東方の広い地域を征服し、長期の遠征を終って、サンタシ越えの同じ道をとりつつ、首都に向って帰ってきた。このとき彼は、サンタシを越える兵に、石のやまから一つずつ石を拾って持ち帰るように命じ、その数によって勝利軍の兵員を数え直してみることにした。
 石の山は、前よりもずっと小さくなった。こうして後に残った石の数は、遠征にたおれた兵の数でもあった。と同時に、戦死者自ら積み上げた記念碑が、そこに出来上がる結果ともなったのである。」(セミョーノフ著 樹下節訳『天山紀行』ベースボール・マガジン社より)

湖から北のクンゲイ・アラ・トー山脈を望む

湖から南のテレスケイ・アラ・トー山脈を望む
 この伝説を思い起こさせる遺構がイシク・クルの湖底に沈んでいる。それはチベットやモンゴルなどで見られる「オボ」とよばれる積み石の祠によく似ている。この積み石は明らかに人の手によって為されたものである。チムール伝説が実話であったかどうかは疑問であるが、想像を大きく膨らませてくれる興味深い話である。

 このように、今もイシク・クルは神秘に満ちた伝説の湖である。そのイシク・クルについて、井上靖の小説『聖者』の最後のフレーズは,次のように綴られている。
 「この(イシク・クル)湖の生成年代を見ると、ざっと十万年の昔のことになる、とロシアの考古学者は記している。問題は十万年という科学が計算によって生み出した大きい数字を信ずるか、往古からイシク・クル湖畔の住民の間に伝承されている一篇の説話を信ずるかだが、それは人それぞれに任せるより仕方がないことのようである。」


イシク・クルの湖畔
 いつの日かこの伝説を秘めた謎の湖イシク・クルを訪れたいと思っていたが、2006年5月に、その夢が叶った。憧れのイシク・クルはクンゲイ・アラ・トー、テレスケイ・アラ・トーの両山脈に抱かれ、湖面は青空に映えてどこまでも澄みきっていた。伝説の真偽を探ろうと勇んでやって来たが、船で湖上に立った瞬間、そんなことはどうでもよくなった。謎のままでよい。水面をわたる風が頬をなでてゆく至福の時のなかで、現実が次第に遠くなっていくのが感じられた。
 
船でイシク・クルの湖上に出る
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