講座 『シルクロードの謎』
【第13回 宮島・厳島神社の舞楽 拔頭と還城楽】

 シルクロードの終着駅は,中国の唐代の長安(現在の西安)とよく言われますが、文化的に見た場合、実はその最終地は日本であったと言ってよいかもしれません。それを明確に示す資料が、奈良の正倉院に数多く残されているからです。しかし、シルクロード文化の香りを偲ばせるものは正倉院だけではありません。広島県廿日市市宮島町にある厳島神社の伝統的神事である舞楽のなかにも見ることができます。舞楽は、神事として一年を通じて演じられています。

厳島神社
 舞楽とは舞を伴った雅楽のことです。古くシルクロードや中国などの地で生まれた楽曲が日本にも伝来し、はじめは宮中の儀式のなかで演じられていましたが、その後畿内の有力な寺社でも演じられるようになり、そして、それが厳島神社にも伝えられたのです。
 厳島神社でいつごろから舞楽が演じられるようになったのかは明確ではありません。しかし、神社に承安三年(1173)の銘のある国の重要文化財の舞楽面があることから、平清盛をはじめとする平氏一門が参詣に訪れたときには既に演じられていたのは確かです。そして、文明三年(1471)に、攝津国(現大阪市)の天王寺から舞の伝授を受けるようになってからは、天王寺楽人との結びつきが強くなり、その関係は現在も続いています。

 厳島神社での舞楽は年に11回催されています。正月元日の歳旦祭、2日の二日祭、3日の元始祭、5日の地久祭,4月15日の桃花祭、5月18日の推古天皇祭遙拝式、旧5月5日の摂社地御前神社祭、旧6月5日の市立祭、10月15日の菊花祭、10月23日の摂社三翁神社祭、12月23日の天長祭での舞楽です。それぞれの祭式で演じられる舞楽は、旧5月5日の摂社地御前神社祭を除いて演目が決まっています。たとえば、正月5日の地久祭の舞楽では振鉾(えんぶ)・甘州(かんしゅう)・林謌(りんが)・拔頭(ばとう)・還城楽(げんじょうらく)の5演目と奏楽の長慶子(ちょうけいし)が演じられることになっています。


国宝・高舞台で演じられる舞楽

舞楽に欠かせない楽人による演奏

 それは厳粛な闇のなかに大鳥居が浮かび上がり、舞台の四隅の燭台に蝋燭が灯された幻想の世界のなかで演じられます。真冬の早朝のことであり、そのうえ海上の回廊に立っての鑑賞となるため、風と寒さには相当の覚悟をしておかなければなりません。ちなみに、メインの拔頭が舞われるのがちょうど日の出の頃になることから、拔頭は「一子相伝の舞」のほか、「日の出の舞」或いは「夜明けの舞」とも呼ばれています。              .
 ここでは、その地久祭の舞楽のなかから拔頭と還城楽についてみてみましょう。            .
 拔頭は、神社の宮司によって一年に一度だけ舞われるものです。それは譜面によらず、所作だけにより父から子へと伝えられることから「一子相伝の舞」とも言われています。              .
 地久祭の神事は、正月5日の早朝5時半に始められ、舞楽はそれが終わったあとの6時頃から神社の祓殿前にある国宝の高舞台で行われます。  .


拔頭の舞

拔頭はザンバラ髪の仮面を被って舞われる

 ところで、舞楽には唐楽と高麗楽とがあります。前者を左方の舞(左舞)、後者を右方の舞(右舞)と称しています。舞楽会では左方の舞一曲に対して、右方の舞一曲を奏するのがきまりです。なお、このあとの方で演じられる舞のことを「答舞(とうぶ)」といい、それらを合わせて「番舞(つがいまい)」と称しています。しかし、地久祭で先に演じられる拔頭と、あとの還城楽とは番舞であるにもかかわらず、この二つの舞はいずれも唐楽であり、必ずしも原則とは一致していません。

 また、拔頭も還城楽も常に手足を動かし、位置も絶えず変わるという活発な舞いであることから、いわゆる「走舞(はしりまい)」と称されるものに属しています。宮司にとって、いかに年に一度とはいえ拔頭の演目を、ザンバラ髪の仮面を被り、手に錐(一般的には桴が用いられるものですが、厳島神社では鉄製の錐を付けた短い棒が使用されます)を持って舞台いっぱいに舞うのですから、高齢の身では相当堪えることと思います。
 次に、舞が意味するものですが、先ず拔頭の方は、唐の『楽府雑録』によれば、「インドの山の中で虎に殺された父親の子供が、父の仇を討つために山の中に入り、首尾よく虎を退治して山を下りてくるさまを表わしたもの」であるとされています。一方、還城楽の方は、「唐の玄宗皇帝が王子のころ、韋后の乱を平定して都に凱旋して還ってきたことを表わすもの」であると、一般的には解されています。また一説には、還城楽は見蛇楽の誤りで、「西域の人は蛇を好んで食べるので、その蛇を見つけたときの喜びを表わしたもの」とも言われてます。確かに舞を見るかぎり、舞台中央に置かれたとぐろを巻き鎌首を持ちあげた木製の蛇を、舞人が見つけて喜悦しているさまを表わしています。しかし、これでは拔頭と還城楽がなぜ番舞であるのか、その脈絡がわかりません。


還城楽の舞

還城楽に蛇は欠かせない
 ところが、田邊尚雄著『日本の音楽』(中文館書店刊 昭和二十二年)を読むと、このことが明解に説明されています。田邊氏によると、拔頭は従来言われているような、「拔頭の舞の中に、左右の足を交互に相交える振りがあるのは、虎を退治して八度曲折しながら山を下るさまを表わしている」ものではないそうです。田邊氏は、インドの古い神話のなかにあるパドウ(拔頭)王の踊りであるとしたある学者の説を引用して、拔頭は、「インドの王であるパドウが駿馬のパイドウに乗って山中を進んでいると、突然大蛇が現れて王を害さんとしたので、馬のパイドウが勇敢にも大蛇と闘って打ち倒した。そのパイドウの奮闘の様子を表わした舞であり、それゆえ、その仮面は馬面を象り、また、左右の足を交叉するさまはパイドウの歩行を象ったものである」と解釈しています。 一方、還城楽の方は、「馬のパイドウが退治した大蛇を、パドウ王が喜んで持ち帰るさまを表わした舞である」と解釈しています。

重要文化財「抜頭の舞台面」

 そして、そのヒントの多くが、遥かシルクロードの地に秘められています。それだからこそ、厳島神社はまさしく「シルクロードの終着駅」と言えるのだと思います。                     .
 インドの神話について不勉強な私には今のところ、この田邊氏の説が正しいものかどうかを判断する術(すべ)はありません。しかし、従来のような脈絡のない解釈よりは、少なくとも説得力があるように思われます。このように舞楽の源流を探る魅力は尽きません。                     .


重要文化財「還城楽の舞台面」
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