シルクロード紀行
ムンバイに藤井宣正の足跡を追って
 ※本文は2009年1月に認めたものに一部修正を加えたものであることを予めお断りしておきます。
 2008年11月、インドを旅し、中南部の都市を訪れたが、なかでも、ムンバイにはとりわけ思い入れ深いものがあった。
 と言うのは、明治時代後期に西本願寺の新門大谷光瑞が中央アジアを中心に調査を行った大谷探検隊のメンバーであった藤井宣正が、インド方面の調査を行うなかで、本格的に調査を始めたのがムンバイだったからである。彼は、フィールドノートとして『印度霊穴探見日記』(以後、「宣正日記」と称す。)を記し、それがのちに『孟買通信』として西本願寺に報告されている。


ムンバイの位置

藤井宣正
(白須淨眞著『忘れられた明治の探険家渡辺哲信』中央公論社より)

 「宣正日記」にはアジャンターやエローラなどの調査についても記されているが、ここではボンベイについてのみ、彼の日記の一部を引用しながら、私の見聞と対比しつつ紹介してみたい。


 蛇足ながら、元来のムンバイという地名は、ヒンドゥー教の女神の名であるムンバ・アーイーに由来する。そして、のちにつけられたボンベイはポルトガル語で「良き湾」の意である「ボン・バイア」が本来の意味で、それをポルトガル風に改めたものである。その植民地時代の遺産であるボンベイの名は、1995年、もとのムンバイに戻された。

 「宣正日記」は明治35年(1902)10月30日から始まっている。その当日の日記の一部を読むと、次のように記されている。(注:句読点は筆者が記した。)
 「……夕、印度教徒ノ越年祭ニ当レリ、日暮、市川氏ノ案内ニテ富豪Tataノresidenceニ祝謝□祭ヲ見ル。Tataノ家敷地狭シ。然レトモ建物ハ頗ル美ナレハ、土地ノ人ハParceeト称セリ。……此祭ヲDewaleeト云フ。Parceeカ此祭ヲ用ユルハ、土人ニadaptセルモノノ如シ。是提燈祭ノ義ニシテ、Dipa(a lump) Ali(a row)ヨリ来ル。昔ハThe ThungsノPatronナルBhowanceニ人牲ヲ供セシ祭ナリシカ、後ニハWealthノ女神Lakshmeeヲ祭ル事トナリ。五日続ケリ。土人ハ此間ニTheir Acounntヲadjustシ、又、家居ノ大掃除ヲ為スナリ。……」(三井文彦著『藤村と飯山』真宗寺発行より)


海に向かって建つインド門とタージ・マハル・ホテル

タージ・マハル・ホテル
 では、これを具体的に見てみよう。印度教徒とはヒンドゥー教徒のことで、ヒンドゥー教はインド人の約80パーセントが信仰している宗教である。
 市川氏とは、三井物産ボンベイ支店の駐在員で、藤井宣正らは現地で三井物産から住居や資金など多くの支援を受けていたようである。
 富豪Tataというのは、あとに出てくるParceeと関連がある。Parcee(パールスィー)とは、ペルシアを追われたゾロアスター教徒のことで、Tata(タタ)はゾロアスター教の信徒であった。富豪とあるように、ゾロアスター教徒には財界で活躍している人が多い。ジャムシェードジー・タタは、インド随一の大富豪で、今日のタタ財閥の創始者であった。

 『読んで旅する世界の歴史と文化 インド』(新潮社刊)によれば、「1860年代にアメリカ南北戦争の綿花ブームなどで富を蓄積。ボンベイを拠点に綿工業に進出し財閥の基礎を築いた。」とある。ちなみに,現在インド国内を走る自動車の多くが車のシンボルにTATAのマークをつけて走っている。そのタタであるが、19世紀末、あるとき外国の友人とホテルへ食事に出かけた際、そこは欧米人専用であるとして、入ることを拒否された。これは彼のプライドを大きく傷つけると同時に、世界に通用する一流ホテルをインド人の手で建設しようという思いを掻き立てた。このようにして建てられたのが、世界でも最高級の格式を誇るタージ・マハル・ホテルである。完成は藤井宣正が滞在した一年後の1903年のことだが、日記にはこのホテルのことについては触れられていない。 となると、藤井宣正はこのことについてはまったく知らなかったのであろうか。イギリス植民地時代以来の市の中心部であるフォート地区の東南端の波止場近くに位置し、海に面して建つタージ・マハル・ホテルは、イギリス植民地支配のシンボルであるインド門のそばで堂々たる威容を誇っている。ちなみに、このタージ・マハル・ホテルは、2008年11月26日に起きた同時多発テロの標的の一つとなったところである。

 祭りのDewaleeと言うのは、インド三大祭の一つディワーリーのことで、10月から11月に行われる富と幸運の女神ラクシュミーの祭りのことである。商売繁盛や家内繁栄を祈る人々が、文中に提燈祭とあるように、家々の戸口に灯明をかかげ、ラクシュミー女神を招き入れる祭りである。ラクシュミーはヒンドゥー教の神様であるから、ゾロアスター教のタタには関係のない祭りであるが、インド人にadapt(適合)させているものだと記す藤井宣正の観察が面白い。ところで、ラクシュミーは富と幸運、美を司る神とされ、日本では吉祥天女に比定されている。教典『ラーマーヤナ』によれば、「神々とアスラたちが不死の霊滴であるアムリタ(甘露)を求めて乳の海をかきまわすと、泡だつ海の中から、手に蓮をもった美しい女神ラクシュミーが現れたという。」(『ヒンドゥー教の本』学研刊)とあるから、ギリシア神話のアフロディーテに比定されるもので、その姿はまさにボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を想わせる。
 The Thungsと言うのは、古代インドにおいて旅人を装い、神の名において略奪や殺人を行った宗教団員,つまり暗殺者・刺客のことである。
 また、インド人はこの祭の時期に Acounnt(accountが正しい 勘定)をadjust(精算)し、また、家の大掃除をするとあるから、一昔前までの日本の師走と同じ情景が思い浮かぶようである。


沈黙の塔の入口
 次に、翌31日の記述を見てみよう。
 「朝七時、市川君ノ案内ニテ日野氏ト共ニ、家ノ馬車ニテMalabar Hill、 Tower of silenceヲ見る。三十yardsノ内ニ入ルヲ許サス。最上ニアリ例ノ人肉ヲ食フ隼ハ、附近ノ榔樹上ニ数多居レリ。……又、火祭堂アリ、入ルヲ許サス。場内ハGarden風ニ造リ居レリ。美ニシテ潔ナリ。堂後ノ眺望ハ、Bombay市及Back Bayヲ下瞰シ壮大ナリ。……」(前掲書より)

 「Malabar Hill(マラバールの丘)はイギリス植民地時代以来の高級住宅地である。現在ではコロニアル風の高級マンションがたくさん建ち並んでいる。この丘の上にはTower of silence(沈黙の塔)と呼ばれるゾロアスター教の葬儀場がある。ここはいわゆる鳥葬によって死者を弔うところである。ゾロアスター教徒以外の立ち入りは厳禁で、藤井宣正らは30ヤード以内への入場を断られているが、今でもそのタブーは続いている。沈黙の塔は周囲を木々に覆われたまさに聖域であり、道路に沿って柵と門が境界をなしている。藤井宣正によれば、葬儀場内は庭園風に造作がなされ、美麗で清潔と言う。


森の奥に鳥葬の斎場がある

ゾロアスター教の寺院
 私はバスを道路際まで寄せてもらって、場内の付帯施設などを写真撮影したが、本当に厳粛な気持ちにさせられた。キリスト教の教義を学ぶために欧州に留学した仏教徒である藤井宣正にとって、仏教やキリスト教とまったく異なるゾロアスター教は想像を絶するほど衝撃的なものであったのであろう。ここでは触れないが、日記のなかでタタの屋敷内や祭事の様子などを図解入りで詳しく描写している。ところで、近年、沈黙の塔の周辺には高層ビルが多く建設されるようになり、鳥葬の主役であるハヤブサやハゲタカなどの鳥が少なくなってきたとガイドが語ってくれた。となれば、ゾロアスター教徒にとっては、深刻な問題であろう。
 私にとっても神秘的なゾロアスター教、この気持ちを察してくれたのか、ムンバイでの現地ガイドが、市街地にあるゾロアスター教寺院に案内してくれた。境内には聖樹の菩提樹が植わっている。寺院のなかに入ることはできなかったが、荘厳で神秘的な空気の漂いを実感することはできた。そして,私たちの見学の様子を窺って出てきた白衣白帽に身なりを整えた導師とは名刺交換をし、記念撮影をさせていただいた。インドのゾロアスター教徒は、ここムンバイに約16万人いるそうだ。
 Back Bayとは市街地の一部を形成する半島が双耳状の突出部をつくる半円形の湾をいう。その半円形の海岸に沿って走る道路をマリン・ドライブと称し、その海岸線に沿って建ち並ぶ高層アパートの灯りが彩る美しい夜景を「女王のネックレス」と呼んでいる。

ゾロアスター教のシンボルマーク
 「宣正日記」には、このほか現在は世界遺産に登録されているヒンドゥー教の石窟寺院があるエレファント島の探検や、ムンバイ郊外の仏教遺跡であるカンヘーリー石窟群の調査、1872年に造られたヴィクトリア&アルバート博物館の資料調査などが記されているが、今回、私たちのムンバイ滞在では道路事情や日程などの関係から、カンヘーリー石窟群とヴィクトリア&アルバート博物館は見学することができなかった。その意味では、宿題を残してきたと言える。それにしても、インドの歴史と文化、宗教の深さは計り知れない。まだまだ学ばなければならないことはたくさんある。そのことを改めて感じた藤井宣正の足跡を追った旅であった。
 
ゾロアスター教寺院の導師と一緒に
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