シルクロード紀行
アフロディシアスを訪れて
  ※本文は1994年7月に認めたものに一部修正を加えたものであることを予めお断りしておきます。
 金星といえば地球の隣にある惑星であり、太陽と月を除けば天体のなかで一番明るい星である。夕空に輝くのを「宵の明星」、暁の空に見えるのを「明けの明星」と呼んで親しまれている。金星が古代バビロニア神話では豊饒の女神イシュタルとして崇められ、愛と美の女神としてギリシア神話ではアフロディーテ、ローマ神話ではビーナスと同一視されていることも広く知られているところである。
 かねてからギリシア神話に関心のあった私は、トルコ西部の山の中にアフロディシアスというところがあり、そこにアフロディーテを祀る神殿があることを知っていた。いつかは訪れたいと思い続けていたが、1993年5月、ついにその念願のアフロディシアスを訪れることができた。
 アフロディシアスは、まさにアフロディーテ信仰の町である。いや、であったと言うべきかもしれない。有名な温泉地パムッカレと地中海の港町エフェスとの中間にある町ナチィルリの近くで道を南に折れてゲイレ村に向かい、オリーブ畑の広がるアクダア山地の小さな谷を上って行った高原にアフロディシアスの遺跡はひっそりと佇んでいる。
 アフロディーテは言うまでもなくギリシアの美と愛の女神である。この女神を祀る神殿はキュプロス島やコリントス等にも存在するがその数は少ない。また、地名に女神自身の名がつけられているところはアフロディシアス以外にはないのではなかろうか。それが私の好きなトルコにあるというのが魅力を一層大きくしてくれている。



アフロデイシアス位置図
(地球の歩き方21・ダイヤモンド・ビッグ社より)

アフロデイシアス遺跡略図
(地球の歩き方21・ダイヤモンド・ビッグ社より)
   
 古く、アフロディシアスは紀元前4世紀アレキサンダー大王が東方遠征で通ったいわゆるアレクサンドロス古道沿いの町、そして、ローマ時代にはオリエントとヨーロッパを結ぶシルクロード沿道の町であった。往時は荷物を駱駝の背にいっぱい積んだキャラバンで賑わっていたことと思われる。エーゲ海の町エフェス(古代エフェソス)やイズミール(古代スミルナ)で商人は東方の珍品を売り、商売が終わるとこの町に逗留して疲れを癒し、再び東方への長途の旅へと出発したのであろう。紀元前1世紀、ローマの将軍スラは、小アジアを征服した折、デルフィの神託に応え、アフロディーテに斧と金の冠を贈ったことから、この地をアフロディシアスと名付けたと言われている。ヘレニズム時代からローマ時代にかけて、哲学や文学、そして芸術の盛んな文化都市として栄えたが、のちにキリスト教が盛んになると、アフロディーテ神殿はキリスト教会となり、町の名もスタウロポリス(十字架の町)と改められ、十二世紀のセルジュークトルコの侵入により、アフロディシアスは急速に衰退していったという。
 アフロディシアスの発掘調査は、ニューヨーク大学のトルコ人学者K・T・エリム教授によって1960年代に始められ大きな成果が得られた。しかし、1990年に教授が逝去し調査は中断していたが、現在は再開されたという情報も伝わっている。エリム教授の功績は、イスタンブル考古学博物館に展示とともに紹介されている。


アフロデイシアス遺跡
  
 アフロディシアスの遺跡は、ババ・ダーイ山の麓に位置しており、山の土が流れて遺跡をすっぽりと覆っていたため残存状態が極めて良かった。遺跡は劇場、オデオン、アフロディーテ神殿、競技場などの遺構が往時を偲ばせている。

劇場

オデオン
   
 東門から城壁内に入り、博物館の前を通ってアクロポリスからアフロディーテ神殿に向かう。神殿は1世紀から2世紀にかけて造られた。イオニア式の列柱がいくつか立っているが、これは考古学者たちによって一部復原されたものである。なにせ13×8の列柱の神殿だったというから全体復原はちょっとやそっとではできないのである。そのためこの一部復原については賛否両論がある。しかし、神殿の入口から中を覗くと、おびただしい数の丸い柱石がそこかしこに倒壊しているなかに、何本かのイオニア式列柱が立ち、それが青い空と遠くの糸杉の林の緑にほどよく調和している。ここが念願のアフロディーテ神殿かと思い、しばし感慨に耽る。
 私とアフロディーテとの出会いは、早稲田大学での引地正俊先生の西洋古典文学の講義においてであった。この講義が私にとってはめっぽう面白く、1年間の履修後も、さらにもう1年講義を受け続けたほどである。お陰でギリシア神話、ギリシア悲劇を身体ごと浴びた思いであった。講義では、「アフロディーテの美と愛は、女神の腰に纏われているケストスという帯にあり、それを身につけていると、人々はその美しさに夢中になる。我々が異性に恋するのは、それぞれにケストスを身に着けた人を見初めたときに始まる」のだと、先生は自分の体験を含めて面白おかしく話された。「人を好きになるということ、恋に夢中になるということ、それは理屈では説明できないものである」という理屈に変に納得したものである。



アフロデイーテ神殿


競技場
 もう一つ、トロイ戦争についての話も面白かった。「トロイ戦争の発端は、エリスという不和の女神がある結婚式に招待されなかったため、その腹いせに〈最も美しき者へ(to the beautiful the apple)〉と書かれた黄金のリンゴを祝宴の席に投げ込んだことに始まる。そこで争ったのがゼウスの后ヘラ、愛と美の女神アフロディーテ、英知と武勇を司るアテナであった。ゼウスはいずれかに決着をつけなければならないが、恨まれるのを嫌がり、羊飼いのパリス(本当はトロイアの王子)に選ばせる。三人の女神は、そのパリスに賄賂を贈ろうとする。ヘラは自分を選んでくれたら最高の権力を約束する。アフロディーテは自分を選んでくれたら世界一の美女を約束する。アテナは自分を選んでくれたら闘いにおける最高の武勲を約束する。この場合男児たるもの何をおいても武勲を選ばねばならない。しかし、パリスは世界一の美女を選んだ。何と愛らしい男としての当然の選択ではないか」と、先生の熱の入った弁舌は今も脳裏に焼きついている。ついでながら、アフロディーテが約束した世界一の美女というのはあろうことかヘレネという人妻であった。夫はスパルタの王メネラオスであり、メネラオスはミュケナイの王アガメムノンの弟である。パリスはスパルタに渡って王に歓待されるが、王がクレタ島に行った留守の間に、パリスとヘレネは関係を結び、ヘレネをトロイに連れ出してしまう。なぜそんなことが簡単にできたのかと言えば、アフロディーテが後ろにいたからである。これを知ったメネラオスが兄アガメムノンの助けをかりてヘレネを取り返そうとすることからトロイ戦争は始まる。実際これはヨーロッパにおけるアジアへの略奪であり、ヨーロッパとアジアとの戦争である。アフロディーテは当然アジア側の味方である。アフロディシアスがトルコにあるのもそのためであろうか。アフロディーテ神殿に立っていると、約30年前の引地先生の講義の内容が、つい昨日のように鮮明によみがえってくるから不思議である。   
   
アフロデイーテ女神像
 ところで、ご本尊のアフロディーテ女神像は、1962年にアフロディーテ神殿跡から発掘され、今は遺跡内の博物館のアフロディーテホールに置かれている。高さ約3mの巨大な像で、顔の上半分は欠けているが胴部や腰はどっしりとしたいわゆる安産タイプの堂々たる神像である。私はルーブル美術館のミロのビーナスのような官能的なエロスの女神をイメージしていたので、期待とは大分隔たりがあった。むしろエフェスの考古学博物館にある多産の神であるアルテミス女神像と共通点があるように思われる。というのもアフロディーテは美と愛の女神であるとともに、豊饒を司る神でもあったからである。古代アフロディシアスの人々は、この海の泡から生まれたと伝えられる女神を繁栄と豊かさをもたらしてくれる神として信奉したのであろう。
     
 アルテミス女神像(エフェス考古学博物館)      
 夜の静寂の中に埋もれゆく前の燦然と輝く金星を見るにつけ、美と愛という極めて人間的な欲望をもたらすアフロディーテが好ましく思われるとともに、遠くトルコの山中にひっそりと佇むアフロディシアス神殿の情景が鮮明に蘇ってくる。
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