シルクロード紀行
ヒンドゥークシュの宝貝
 ※本文は1999年4月に認めたものに一部修正を加えたものであることを予めお断りしておきます。
 かつてはインド西北部にあったガンダーラの都プルシャプラ(「花の都」の意)、現在のパキスタンのペシャーワルから北へ200キロ行くとスワート渓谷に達する。スワートはその昔ウディヤーナと呼ばれ、これは「庭園」を意味し、文字どおりスワートは緑多い美しいところとして知られている。そこにはかつての仏教寺院跡も数多く残り、歴史愛好者にとってはたまらない地である。そのスワートの中心都市ミンゴラからさらに北北西に約300キロ行くとチトラルの町がある。
 チトラルへは、途中ディールの町でジープに乗り換え、さらに標高3200mのロワライ峠を越え行かなければならない。そこはパキスタンの北西辺境州のなかでも最西北部に位置し、アフガニスタンと国境を接したヒンドゥークシュ山脈の山懐に抱かれた秘境の地といってもよいだろう。ヒンドゥークシュとは「インド人殺し」の意で、かつて奴隷商人の手で連れていかれたインドの女性の奴隷たちが、この山脈の峠を越えるとき、寒さと疲労により次々と倒れて死んでしまったところから名付けられたと言われる。このような地理環境にあるチトラルは、しかしインドよりも、むしろ中央アジアの影響を受けており、一種独特の雰囲気を醸し出している。    
パキスタン北西辺境州の地図
(「週間朝日百科83」朝日新聞社より)

カフィリスターンの地図
(「地球の歩き方」ダイヤモンド社より)

 カフィリスターンの人たちは、北からルンブール、ブンブレット、ビリールの3つの谷間の村で暮らしている。その村に入るためには入域許可証が必要となる。私たちはチトラル行政官から許可証を得て、5台のジープをチャーターして出発した。                    
 そのチトラルの南郊、アフガニスタンの国境近くにカフィリスターンという地域がある。現在のパキスタンはイスラム教の国であるが、この地方に住むカラッシュ(カフィール)族は今なおイスラム教に改宗していないため、この地域はカフィリスターン、即ち「異教徒の国」と呼ばれている。また、彼らは自分たちをアレクサンドロス大王に率いられたギリシア人の末裔だと信じている。アフガニスタン側(ヌリスターン)に住むカラッシュ族と同じように多くの神々を信じ、とりわけガンダオという偶像を崇拝している。それと関連があるのかどうかはわからないが、紀元前327年頃、マケドニアの王アレクサンドロスがこの地方に侵入したとき、ここは古くギリシアの神々が征服していたところだったという伝承がある。と言ってもこれらの真偽は定かではない。ロマンの世界に止めておいた方がよいかもしれない。


  ジープでカフィリスターンに向かう

悪路のヒンドゥークシュ山脈
 途中、道が左右に分かれるところにチェックポイントがあり、チェックを終えて左への道を渓谷沿いに1時間半ほど進むと、ようやくカフィリスターンで一番大きなブンブレット村に無事到着した。                    

ブンブレット村の入口
 チトラル(クナール)川に沿って舗装道路を30分南下し、本道を右に折れるとアユーンに到着、そこからは一変して身体がよじれ返るほどの悪路となった。


 カフィリスターン入口のチェックポイント


 そこはヒンドゥークシュ山脈の奥深くのいわゆる秘境であり、一瞬時間が止まっているような錯角に襲われる神秘的世界が展開していた。


カラッシュ族の住居(ブンブレット村)

集会所の壁に描かれた動物の絵
(ブンブレット村)

   
 ところで、このカフィリスターンに住む女性の衣装や装飾品には興味がひかれる。「カラッシュ」というのは黒い衣装を身につける者という意味があるそうで、ここに住む女性のほとんどが黒い長いドレスを着ている。そしてとりわけ注意をひくのは、アクセサリーとしてたくさんの宝貝をあしらった頭飾りをしていることである。
 宝貝は別名子安貝とも呼ばれ、古代エジプトをはじめ、オリエント世界、中国などの考古学調査でよく見られる海産貝である。世界中に約200種もあるといわれ、そのほとんどが太平洋とインド洋に棲息している。古くからお守りや貝貨として利用され、漢字の貝も宝貝の断面を表わす象形文字であるといわれている。専門的には世界中で貨幣などに最も多く使用されたのがハナビラダカラガイ、中国などではキイロダカラガイが使われた。また、日本で安産のお守りなどにはハチジョウダカラガイが使用された。
 このような海産貝である宝貝が何千キロも隔たったアジアの内陸奥深く、今なおアクセサリーとして身に付けている人々が日常生活をおくっている。このカラッシュ族が発見されたのはわずか数10年前のことであり、当時彼らの間では貨幣経済も成立していなかったという。早稲田大学名誉教授の長澤和俊先生はこれほど多くの宝貝をどこでどうして手に入れたのか不思議に思い、現地の人に聞き取り調査したところ、入手方法には2つの説があったという。
 一つはカラッシュ族は本来海辺に住む民族であったが、あるとき戦いに破れて山中に逃げ込んだとき一緒に持ってきたという説。もう一つは近くを通るワハン回廊という古い隊商路を往来するキャラバンから買ったという説。しかしどちらの説も真偽は定かではないと長澤先生はいわれている。しかし、カラッシュ族の女性たちは、今もここにやって来る行商人から宝貝を入手しているのであろうか。

        宝貝の頭飾り    

宝貝の頭飾りを売るカラッシュ族の女性
(ブンブレット村)


 また、その需要を賄えるほど宝貝があるのかとても不思議に思われた。私はカラッシュ族の女性が売りにきた宝貝の頭飾りを記念に300ルピー(約600円)で買ったが、よく見ると、その頭飾りに宝貝と一緒にワイシャツのボタンが付いているのがご愛嬌であった。           

 とは言え、ユーラシア大陸の内陸部奥深くに住む人々にとって今も昔も、宝貝はことのほか大切な文字どおり宝物に違いない。スウェーデンの地質学者であり考古学者であったアンダーソンは、「1924年に中国の甘粛省を旅行していたとき、昼食に立ち寄った中国人の家で女主人の子供が頭に宝貝をつけて走りまわっているのを見て、1ドルでその宝貝を売ってくれるように母親に頼んだが、彼女はどれほど払ってもこの貴重な護符を売ることはできないといったふうな印象で私の申し入れを断わった。」と、彼の著書『黄土地帯』に記している。
 これまで歴史書で観念的にしか認識していなかった宝貝の道。それがヒンドゥークシュ山脈の奥深くに今なお息づいているのを、自分の目で実際に見ることができたのは本当に有意義なことであった。
 なお、ついでながらブンブレット村の帰り道、チェックポイントを直進してもう一つの村であるルンブールを訪れてみた。この山深い小さな村に、数年前、和田晶子さんという日本の女性が地元の青年と結婚して暮らしていると聞いていたからである。ひょっとしたら会えるのではと期待して出掛けたのであるが、あいにく丁度日本に里帰りしているとのことであった。

ルンブール村のカラッシュ族の女性
しかし、旦那さんのジャマット・カーンさんと会ってしばらくお話しをすることができたのは幸いであった。これも宝貝がもたらした人との縁、旅行の大切な思い出となった。
 
ジャマット・カーンさんらと一緒に(ルンブール村)

<紀行バックナンバー・トップへ
シルクロード写真館 文机からエッセイ シルクロードの謎 TOPへ戻る≫
ALL Rights reserved,Copyright(C) 2001,S.Matsuzaki  ご意見・ご感想はこちらまで