シルクロード紀行
風の砦 魔鬼城
 ※本文は2000年4月に認めたものに一部修正を加えたものであることを予めお断りしておきます。

 中国のシルクロードといえば、新疆ウイグル自治区の天山山脈の南に広がるタクラマカン砂漠の縁辺に沿って伸びるオアシスルートが有名である。天山山脈の南に位置するところから、これを天山南路と呼んでいる。
 ところで、天山山脈の北にも砂漠は広がっている。天山山脈と北のアルタイ山脈に挟まれたジュンガル盆地にあるグルバンテュンギュト砂漠がそれである。あまり聞き慣れない名であるが、中国内の砂漠としては、タクラマカン砂漠に次ぐ第2の規模のものである。
   

ジュンガル盆地周辺の地図
(「地球の歩き方」ダイヤモンド社より)
 
グルバンテュンギュト砂漠

アルタイ山脈

アルタイ山脈は旧ソ連、西シベリア南東部からモンゴル高原へ北西から南東に延びる全長約2000kmの山脈で、山麓は半砂漠で高原状の草原をなしている。


古代突厥族の石人像
この砂漠の南縁には天山北路が延び、それは中央アジアの国々に通ずるステップルートを形成している。しかし、それにもまして興味をそそるのは、この砂漠の北縁をアルタイ山脈に沿ってもう1つのステップルートが走っていることである。


     遊牧騎馬民族の末裔カザフ族


古来、この地は遊牧騎馬民族の活動舞台となったところでもある。かつての匈奴、柔然、突厥などの故郷であり、荒漠とした草原の突厥族の墓のそばには、ユーモラスな姿の石人像が今も東面して立っている。

 シルクロードは古来単に東西交易路として存在していただけではない。オアシスルートは前漢時代の武帝の使者張騫が開拓したものと一般的には言われているが、その北を走るステップルートはそれよりもずっと古くから存在していた。このオアシスルートとステップルートを結ぶ南北の道も広義な意味ではシルクロードであり、それを「絹馬交易路」「毛皮の道」などと呼んでいる。グルバンテュンギュト砂漠を擁するジュンガル盆地の東と西にも南北路が存在している。ジュンガル盆地は、天山山脈とアルタイ山脈の間に楔を打ち込んだ不等辺三角形の乾燥地帯であるが、タクラマカン砂漠のような極乾燥地域ではない。
それは盆地の西側に2000m級の山々がそびえているが、ところどころが歯抜け状態になっているため、そこから北西の風が吹き込んで半乾燥ないし乾燥地形を成しているからである。したがってその風がアルタイ山脈の南麓に草原を育む程よい湿り気をもたらしている。

      天然コールタールの湧出    

アルタイ山脈の西端

なお、アルタイ山脈は鉱物資源も豊富なところで、昔から金が採掘され、アルタイはモンゴル語で「金の山」の意味があり、また、突厥族もかつては製鉄の工人の出身であったといわれている。           

 さて、本題に入ろう。新疆ウイグル自治区の省都ウルムチから西北に320km、グルバンテュンギュト砂漠の西辺を南北に走る道の中ほどにカラマイ(克拉瑪依)の町がある。ここは油田と天然コールタールが産出され、近年、大きく発展した新興都市である。町の東に黒油山の荒野が広がっている。地中から間断なくコールタールが湧き出す様は異常な光景ですらある。このカラマイからさらに北へ100kmほど行くとウルホ(烏爾禾)の町に達する。
 ウルホとはモンゴル語で「キジを捕える罠」という意味だそうだが、それはともかく、この西側の山波がぽっかりと開いて風道となっている。「魔鬼城」はこの荒涼とした砂漠にある風食によってできた奇観である。
   

黒油山の荒野

風の砦 魔鬼城    
城といっても砦などのように人工で作られたものではない。こういった様を中国では「風城」「風堡」などと呼んでいる。この地は1億年前には気候も温暖で、豊かな水に溢れる湖があり、魚が群れ泳ぎ、地上では烏爾禾剣竜が動き回り、空にはジュンガル翼竜が飛ぶ緑の楽園であった。しかし、その後巨大な地殻変動が起こって大地が隆起し、湖の水は干上がってしまった。そうして長い年月を経てでき上がったのが「魔鬼城」である。それ故極めて稀ではあるが動物の化石も発見されるという。           

風食とは風が食べると書くが言い得て妙である。長い間に風によって岩や土が侵食されていく現象であり、「魔鬼城」も一見したところ土でできたもののように見えるが、実際は紅褐色の水成岩でできている。それが円柱の塔のように、また、方形の建築物のように見えるので「魔鬼城」と呼んでいるのである。こうした形状は先ほどの風道と関係がある。風で運ばれてきた砂粒が岩の表面にぶつかると、その衝突する力と擦れ合う力によって少しずつ削られていく。こうしてできた古代の砦のような風景を、ここに住むモンゴル人はスルムハク(蘇魯木哈克)、カザフ人はシャイタンクルシ(沙依坦克爾西)と呼んでいるが、どちらも「鬼の城」という意味である。    
風が削って作った円形の壁

顔が映るほど高純度の天然コールタール    
 ここは風の通路にあたりいつも風が吹いており、「城」の中を舞ってさまざまな音を発している。それが奇妙なうなり声にも聞こえるところから、「城」の中には魔者がいてあたかも叫び狂っているように感じられ、やがて「魔鬼城」と呼ばれるようになったという。
 また、この一帯は天然コールタールが産出される中国でも珍しいところである。コールタールの純度は極めて高く、精製の必要がほとんどないほどピカピカに黒く光り輝いており、それは顔が映るぐらい滑らかなものである。さすれば、この天然アスファルトは「魔者の鏡」とでも言ったところであろうか。

 かつてチンドン屋が奏でる音楽に田中穂積作曲の『天然の美(美しき天然)』があった。それに詞をつけたのが武島羽衣であるが、その三番に「朝に起る雲の殿 夕べにかかる虹の橋 晴れたる空を見渡せば 青天井に似たるかな 仰げ人々珍しき 此の天然の建築を かく広大にたてたもう 神の御業の尊しや」とある。「魔鬼城」は、まさに神の御手による壮麗な天然建築にちがいない。中国西域の観光も現在のところまだウルムチより南ないし西が専らである。ウルムチの北、ジュンガル盆地とアルタイ山脈の麓の町アルタイ(阿勒泰)は比較的新しく開放された都市である。それだけに未知と神秘で魅力あふれるところといえよう。そして、さらに嬉しいことに遊牧騎馬民族の残してくれた遺跡も数多く存在している。    
風食による天然の建築物
 最後に魔鬼城で心に残ったものをもう一つ述べておこう。魔鬼城の一帯には、砂丘一面に瑪瑙の原石が散らばっている。足下にびっしりと敷き詰められたように広がる光景には言葉を失うほどである。


瑪瑙の原石拾い

   砂丘一面に散らばっている瑪瑙の原石

瑪瑙とは言っても高価な原石が見つかるとは思えないが、赤く形のよさそうな石を夢中で探したのが良い思い出となっている。
 ところで、「魔鬼城」で聞いた風の声は、魔者の叫び声だったのか、遊牧騎馬民族の宴の歌だったのか、はたまた古代人からのミレニアム・メッセージだったのだろうか。


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