シルクロード紀行
南疆鉄道の旅〜ウルムチからクチャまで
 ※本文は2007年11月に認めたものを修正加筆したものであることを予めお断りしておきます。
 2007年9月5日から16日にかけて、中国新疆ウイグル自治区のオアシス都市クチャから甘粛省の敦煌までのいわゆる天山南路の旅に出かけた。天山山脈の南麓に沿って約二千キロの距離を専用バスで移動したのであるが、その起点となるクチャへは中国新疆ウイグル自治区の首都ウルムチから鉄道で行くことにした。

南疆鉄道路線図
(「地球の歩き方」ダイヤモンド社より)
 今回ウルムチからクチャまでの移動に鉄道を使いたかったのには大きな理由があった。それは、1980年放送のNHKテレビ番組『シルクロード』の「天山南路の旅」のなかで南疆鉄道の紹介された映像が私の脳裏に長年こびりついていたからである。あれから27年、天山山脈を貫く南疆鉄道に是非とも乗りたい。これが今回の旅の大きな理由であった。こうして、南疆鉄道の旅が実現することになったが、いざ、南疆鉄道の勉強をしようとしたところ資料がない。結局、テキストとして最も詳しいのが、意外にも27年前のNHKの番組に際し刊行された『シルクロード』第5巻(以下、「NHK本」と呼ぶ。)であった。
 ここでは、その内容をもとに、私の旅行中のメモ書き(以下、「メモ」と呼ぶ。)に沿って、ウルムチからクチャまでの鉄道の旅を振り返ってみよう。
 
ウルムチ駅
 現在の南疆鉄道は、トルファンからカシュガルまでの1451キロを指すものである。したがって、私たちが起点としたウルムチとトルファンの間の138キロは、厳密に言えば蘭新鉄道(甘粛省の省都蘭州とを結ぶもの)の一部を利用したことになる。

カシュガル行き快速列車の軟臥車(1等寝台車)
 出発駅のウルムチ駅は白いモダンな建物である。駅前広場の左右にもビルが建ち並んでいる。私が27年前にはじめてここを訪れたとき、駅前一帯はウイグル族の人たちであふれ、そこかしこにシシカバブの匂いと煙が立ちこめていた。当時は改札口も自由に通ることができたし、ホームに行って列車を眺めることもできたのに、現在では駅に入るのにレントゲンによる荷物検査があり、乗降客以外の立ち入りが制限されている。
 ホームに入ると、カシュガル行き18両編成のN886快速列車が既に入線していた。私たちの乗る車両は中ほどの7号車の軟臥車と呼ばれる寝台車、赤と青の帯の入った白色ボディの二階建てで、席はその一階部分であった。

 12時09分、定刻に発車。外は時折雨まじりの曇り空。左に天山の支脈ボゴダ山脈を見ながら、赤肌の高原からゴビタンの草原へとトルファンに向かって走る。


18両の列車を牽引するディーゼル機関車

食堂車の車内風景
 ラッキーにも隣の6号車が食堂車であり、13時に予約を入れるが、48席のテーブルは客であふれ返り、予約もなにもあったものではなく、空いたところから座っていって席を確保するしかない。食堂車には「清真」の表示があり、メニューはイスラム料理であることがわかる。だが、アルコール類は飲むことができるので、シルクロードの旅の始まりにあたって、先ずはビールで乾杯する。そして、食事から約1時間、腹も落ち着いてきたころトルファン駅に到着となる。トルファン駅といっても市街地はここから約80キロも南にある。
 ここから南疆鉄道の始まりである。列車もここで編成が逆となり、ウルムチからのディーゼル機関車は、隣の線路を通って今まで最後部だった最前部の客車に連結する。こうした作業を終え、14時18分、列車は西に向かって出発進行。いよいよ天山山脈に向かっての山岳鉄道の旅の始まりである。NHK本によると、「南疆鉄道は、トルファンからコルラまで476キロ、天山を貫き、タクラマカン砂漠に到る新しい鉄道である。1976年に着工され、1979年末、全線のレールの敷設を終了した。わずか3年間の突貫工事であった。」とある。ちなみに、その後2001年にコルラからカシュガルまでの約1000キロが延伸されている。

南疆鉄道の起点トルファン駅のホーム

“老風口”と呼ばれる強風地帯を通過
 メモによると、「15時08分、ゴビタンが長く広くのびるなか線路に沿って防風壁が現われる。遠く右手に白雪を頂く山脈、そして、魔鬼城(風食によって出来た奇岩の景観)の形状も見られる。」とある。これは、NHK本にある「トルファンから一時間…老風口≠ニ呼ばれる強風地帯を通過する。老風口とは、天山から吹き降ろす強風が、山の間を通り抜け、砂漠に吹き出す、風の通り道である。…線路に沿って、直径十センチほどの石を列車の高さまで積み重ねた防風壁が、数百メートルにわたって作られている。」とある。この辺りは、天山山脈の雪解け水の流れる白楊河に沿って天山颪の風が吹き抜ける強風地帯なのである
 メモでは、「列車は千分の20の勾配を上っていき、16時20分、最初のトンネルに入る。同27分、魚児溝という大きな駅に到着」とある。魚児溝はトルファンから約100キロ、阿拉(アラ)渓谷の狭間に位置する鉄道建設のためにつくられた町である。当時、人民解放軍の鉄道兵団が大量動員された。そのとき建てられたものであろうか、駅の周辺にはレンガ造りのアパートが見られる。
 今も鉄道員の宿舎として使われているのであろう。駅員が構内で貨車の入れ換えをしたり、客車への給水作業をしたりしている光景は、かつて日本の駅の各地で見られた子どもの頃の原風景でもあった。魚児溝駅では約15分停車したあと出発、列車はまもなく小さな川を渡る。NHK本によると、その鉄道兵の責任者であった陳万福氏の談話として、「鉄道の工事が始まるまでは、このあたりには人家はひとつもありませんでした。通りかかったモンゴル族の遊牧民に、ここの地名をたずねたところ、中国語でユイアルゴー(魚児溝)だと教えてくれました。文字通り、『小さな魚の住む川』という意味だそうです。」とある。ちなみに、魚の種類は、泥鰍(ニイチュウ)、日本でいう泥鰌(ドジョウ)のことらしい。

魚児溝駅のホーム

いよいよ天山山脈が迫ってくる
 メモでは、魚児溝を出た列車は、「16時54分、かなりの勾配を右に左に列車はカーブ、周囲はゴビタン、左手に山が迫る。同57分、信号場に貨物列車が退避。左手に大きく弧を描き、グルッと一周するように線路は続く。線路が3段にわたって見える。」とある。このあたりの情景についてNHK本を見ると、「魚児溝を出発した列車は、ゆるやかな登り坂を進む、前方には、天山に向かって広大な斜面が広がっている。線路はその斜面を、大きな三つのカーブを描きながら、S字状に登っていく。この間十二キロ、高度にして二百メートルほど登って、海抜千メートルに達する。
 カーブの途中に小さな駅がある。ツルムダイ駅という。…駅のまわりには何ひとつない。荒々しい大地が、天山からゴビに到るまで茫漠と広がっているだけである。…南疆鉄道は単線である。列車をすれ違わせるために、全線にほぼ等間隔で駅が作られている。駅の数は全部で四十四。ツルムダイ駅は列車運行のためにだけ作られた駅であろう。それでなければ、こんな無人の荒地に駅は必要ないはずだ。」とある。中国の鉄道は機関車や客車、貨車の車体も日本のものに比べて大きい。また、線路の幅も広い。しかし、それも天山山脈の雄大な世界のなかでは、まるで模型の世界のようである。

天山に向かってのびる鉄路

阿拉渓谷
 メモを続けよう。「17時16分、2番目のトンネルに入る。…そして、12番目のトンネルを出ると、線路はループ状。同40分、星源駅通過。」ここがどうやら夏爾溝(カルコウ)トンネルのようだ。このトンネルは長さ約2000メートル、山の中で一回転して60メートル登るループ式である。そして、トンネルを出るとすぐに鉄橋を渡る。この辺りも魚児溝から続く阿拉渓谷であるが、阿拉渓谷は別名「四季谷」と土地の人に呼ばれている。その理由は、この天山一帯は天候が著しく変化するため、春夏秋冬を一度に体験するからだという。赤茶色のボロボロとした崩れやすい岩肌の間をあえぐように列車は走る。天山を貫く鉄路にはトンネルが29、鉄橋も36を数えるが、トンネルや橋梁の集中するこの阿拉渓谷こそ、まさに南疆鉄道最大の難所と言えるところである。
 メモに、「17時55分、国光駅を通過。廃墟となったアパートがいくつか見られる。同57分、右手の高いところに慰霊塔らしき碑が見える。」とあるから、この辺りに鉄道建設の基地があったことが窺われる。NHK本では、「鉄道建設のために駐屯している鉄道兵の施設なのかーー。…いずれにしても、標高千八百メートルの山深いこの地での生活は想像以上に厳しいものであろう。」とある。

天山の雪峰と阿拉渓谷に架かる鉄橋

信号場で待機する貨物列車を見上げる
 メモは、「18時05分、阿拉溝駅通過、同28分、徳代溝駅通過。」と続き、列車は海抜2000メートルから2500メートルへとどんどん高度を上げている。そして、いよいよ南疆鉄道最長のハルダハト橋(全長約600メートル)と天山山脈の峠の真下に掘られた奎先(ケイセン)トンネル(全長約6000メートル)が近づいてきた。
 私のメモをとる手も慌ただしくなる。そして、18番目のトンネルを抜けたところで、いよいよハルダハト橋である。海抜は2910メートル、大きく半円を描いて架かる鉄橋の眼下にはハラゴントン草原と呼ばれるモンゴル族の放牧地、遠くに万年雪を頂いた天山山脈の雄大な景観が望まれ、まさに南疆鉄道最大のハイライトである。ちなみに、ハルダハトとは、モンゴル語で「松の木のような奇岩」という意味があるそうだ。

 そして、19時02分、20番目のトンネルに入る。これが奎先トンネルである。なにせトンネル内での3000メートルの峠越えである。同04分、3000メートル地点を通過する。それは、NHKテレビ番組『シルクロード』の「天山を貫く南疆鉄道の旅」が実現し、それを真に実感した瞬間であった。列車は同07分、トンネルを出た。南疆鉄道の最高地点であり、永久凍土層を掘り進めるという最大の難工事であった奎先トンネルを、メンバーの一人で元鉄道マンの宇田賢吉さんの計算によれば、「列車は時速約70キロで、長さ6キロのトンネルを5分44秒で通過した」とのことである。

カーブを描きながらS字状にのぼっていく

烏拉斯台渓谷をループ状に下っていく
 トンネルを抜けると、今までの荒涼とした岩肌から、なだらかな緑の多い景観に一変した。ここからは烏拉斯台(ウラスダイ)渓谷である。水の流れもこれからは南のタクラマカン砂漠に向かって流れていく。川沿いに牧草地がのび、ところどころ羊や馬の放牧も見られる。短いトンネルを次々に抜ける間に、ループ式の線路を一周しながら、列車はどんどん高度を下げていく。
 20時44分、天山山脈で最後の29番目のトンネルを出ると、黄昏れの景色となってきた。中国国内は北京時間に統一されており、実際には約2時間の時差があるため、この辺りは今が夕暮れの時間である。私たちは、昼に続いて再び食堂車に行く。相変わらずの大混雑のなか、食事をとっているうちに、21時30分頃、日はすっかり暮れ、外の風景も全く見えなくなる。

 私たちメンバーは寝台車に戻り、夜中の2時19分のクチャ到着までベッドでひと休みしているようだ。私は眠るつもりがないので、見えない窓の外をじっと見つめていた。すると、宇田さんも同じだったのか、私の室に入って来られたので、しばらく話をする。
 宇田さんからは、「今走っている鉄道の線路は25メートルレールです。1分間に継ぎ目を通るガタンという音が40回聞こえたら、その列車は時速60キロで走っていることになります。私が運転士をしていた頃、もし運転中速度メーターが故障したときは、こうして速度を計算するよう上司から教えられたものです。」「今この列車を牽引しているディーゼル機関車は棄てたものではありません。平地に入ったら時速125キロ前後で走っているようです。それは日本の在来線では考えられないスピードです。」など鉄道に関する興味深い話をいろいろとうかがった。


深夜のクチャ駅

天山山脈の南麓を行く貨物列車
(コルラ〜クチャ間)
 会話が途切れたところで、ふと窓の外を見ると、真っ暗ななかにたくさんの星がまたたいていた。なかでも、北の地平線近くに、北斗七星が大きく輝いていた。こんな位置で、こんなに大きな北斗七星を見たのははじめてである。星空を眺めているうちに、午前2時19分、列車は定刻にクチャ駅に到着した。南疆鉄道はこの先カシュガルまで続いている。いつの日か、この続きの旅が実現するのであろうか。そんなことを考えながら真夜中のホームに降り立ち、14時間10分の列車の旅を終えた。
<紀行バックナンバー・トップへ
シルクロード写真館 文机からエッセイ シルクロードの謎 TOPへ戻る≫
ALL Rights reserved,Copyright(C) 2001,S.Matsuzaki  ご意見・ご感想はこちらまで