講座 『シルクロードの謎』
【第8回 クレイ・トークンからアルファベットへ】
 文字の使用は、紀元前3000年よりも少し古いメソポタミアであったと言われています。ここでは楔形文字からアルファベットへの展開についてみてみましょう。
 文字に先行するものとして、商品管理に使われていた印章があります。封印するところに粘土を貼り、そこに印章を押すもので、それを封泥といいます。そのほかに、数を確認するのに使われたクレイ・トークンと呼ばれるおはじき状のものや象形文字がありました。これがやがてメソポタミアで楔形文字に展開していくのです。                  .


クレイ・トークン
(「古代オリエント博物館図録」より)

  封泥(「古代オリエント博物館図録」より)

 クレイ・トークンというのは、アメリカの考古学者ブセラートの打ち出したセンセーショナルな学説です。雄牛は牛の頭をかたどり、羊はその姿を丸に十字で示しています。このクレイ・トークンはいろんなところから出土していますが、かつてこれはたとえば「お守り」や「呪符」、また、アクセサリーとして使われていたと考えられていました。しかしそうではなくて、ある情報を伝達するのに使われたと考えたのがブセラートでした。四角形、三角形、菱形、円筒形などの形があって、それが織物や壺など特定の意味を表わす文字の前段階をなすものと考えたのです。クレイは粘土、トークンはしるしで、証拠の品を示すものです。実際にそれを裏付けるように、クレイ・トークンを個々に見てみると、それが形として似ているものが沢山あります。たとえば、牛はそのままの姿から次第に横向きの形に変化していったものであることがわかります。このように文字は、ある日突然オリエントの都市国家で生まれたのではなく、農耕生活の長い文化の試行錯誤のなかからたどり着いたものと言えます。
 クレイ・トークンは粘土の袋のなかに入れたり、荷物のなかに入れたりして使いました。このクレイ・トークンが、のちの楔形文字になっていくのです。文字の歴史は、クレイ・トークンから古拙文字、象形文字、楔形文字へと展開していきますが、ではなぜそれらのものが西アジアで生まれたのかと言うと、木材はないが、河には腐るほど土があったからです。土は結構重たいものですが、粘土板の形で楔形文字が発展したのです。イラクのウルク遺跡に紀元前3100年頃の世界最古の文字といわれるものがあります。文字と言っても大麦の数量を示したものですが、その粘土板が約1000個確認されています。

葦の筆
(「古代オリエント博物館図録」より)

世界最古の文字であるウルク文書
(「古代オリエント博物館図録」より

 従来のクレイ・トークンは、土で作った封筒に同じ形のものを描いて、なかにこれこれのものが間違いなく入っているということを記していました。なかに入れると見えなくなるので同じ内容のものを外に記したのです。しかし、それでは二度手間になるので、それに代わって生まれたのが絵文字といわれる古拙文字でした。それは文字自体が意味を持つ表意文字で、ウルク遺跡で発見されました。そのウルクの古拙文字が楔形文字に発展していったのです。ちなみに、そこで使われる葦は、日本の葦とは全然違う竹のように太いものです。メソポタミアではこれで船をつくりますし、画家のゴッホは、葦を筆に絵を描いています。                  .
 楔形文字と一般的に言われますが、実際にはいろんな言語があります。例えばメソポタミアの下流のシュメール語、北の方のアッカド語、南メソポタミアのバビロニア語、北メソポタミアのアッシリア語などで、それらがアナトリアやイランなどにも波及していきました。そのなかで標準語として広く使われていたのがシュメール語です。それだけシュメールの人たちが商業活動で盛んに動いていたと言えるでしょう。


    シュメール語とアッカド語の辞書
   (「古代オリエント博物館図録」より)

シュメール語の粘土板(文字の歴史)創元社より)
 楔形文字は、普通左から右へと書きます。これは私たちが横書きの手紙を書くのと同じです。字の方向は左側に三角形が来て、その角が水平に右に向いているものが多いのですが、書き方は、左から右、上から下、左上から斜め右下への3種類です。この楔形文字は都市国家で生まれたものですが、王宮には神殿があって、そこに神官や書記がいて、彼らが貢ぎ物を受領したり、年貢取り立てを記録したり、数量を確認したりするのに使っていたのです。シュメール人の楔形文字がアッカドやアッシリアに受け継がれて、それがトルコのアナトリアやイランなどに波及していったのです。シュメール語が標準語として使われていたので、アッカドやアッシリアではそれを解読しなければなりませんでした。そこで辞書が作られたのです。写真の資料は東京大学東洋文化研究所所蔵のものですが、それを解読したのは広島大学名誉教授である吉川守先生たちでした。左側に書かれているのがシュメール語、右側がアッカド語で、解読すると神、頭、先端などいろんな事象が訳されているそうです。            .
 楔形文字は、一つの文字が一つのものを示す表意文字です。したがって、ものが増えれば文字も増やしていかなければなりません。その面では不便なものです。楔形文字は、紀元前3000年頃から紀元前1000年頃までの2000年間使われていました。また、それとは別にヒエログリフという象形文字がエジプトなどで紀元前3000年頃に体系を整えて登場しました。象形文字はいわゆる絵に意味を持たせたものです。楔形文字はエジプトのピラミッド、神殿の石碑や壁画に見られますが、その一方でヒエログリフという象形文字も使われていました。もちろんそれらは神官や書記たちが使用したものです。そうしたなかで紀元前1000年頃からフェニキアやアラムの人々がアルファベットのもととなる文字を開発しました。それゆえ、フェニキア人がエジプトの象形文字を改良して一つの記号に一つの音が貼り付くアルファベットを作り出したと言われています。つまりA・B・Cです。そのようなものがエジプトのヒエログリフに24あります。しかし、エジプト人は象形文字の発明者で、その伝統を頑なに守る、それを崩してはならないという観念のようなものがあって、象形文字自体が表音文字になり得たにもかかわらず、表意文字の伝統を守り抜いていったのです。だからアルファベットはエジプト人が作っても不思議はなかったのですが、そのまま象形文字で紀元前3000年から紀元後4世紀まで通したのです。その間に、フェニキア人がエジプトの 象形文字と楔形文字をヒントにしてアルファベットを形づくってしまったために、フェニキア人がアルファベットの発明者と言われているのです。

  ウガリット出土のアルファベットの粘土板
   (「古代オリエント博物館図録」より)

エジプトのヒエログリフ
(「古代オリエント博物館図録」より)
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