講座 『シルクロードの謎』
【第9回 ハカリの起源】
 ハカリの起源は、オリエントにあったと言われています。

 人間が生きていくなかで、初期の採集経済の段階ではハカリは全く必要ありませんでした。取ってきたモノを大雑把に分けていただけですから、はかるという観念は恐らくなかったでしょう。しかし、やがて農耕生活が始まり、都市や国家という経済的共同体が生まれ、そこにゆとりがでてくると、権力者が生まれました。その権力者が宝石や貴金属類、例えばラピスラズリやトルコ石などを獲得する際、それがいわゆる交易というものではなく、略奪の段階でははかるということは問題にならなかったでしょう。


天秤バカリの置物(トルコ)

ラピス・ラズリの原石(アフガニスタン産)
 ところが、宝石などが産出する地域は限られていますから、都市国家ではそれを遠く原産地に求めなければなりませんでした。そこで初めて交易と称するものが始まったのです。しかし、ラピスラズリのように、少量でも極めて価値の高いものについては注意深く扱わなければなりませんでした。そこで初めてハカリが生まれたのです。したがって、ハカリは、はかるという行為が必要となったとき、ごく自然に生まれたものだったのです。
 では、そのモノをはかるための道具は、どのようにして生み出されたのかと言うと、人々が日々の労働のなかでモノを運ぶ、その経験から生まれたのだと思われます。それは、棒の両端に同じ量の荷物を懸けて運ぶといった作業です。そうした2つのモノの重さを釣り合わせる知恵というか、技術を体得したなかで、棒の真ん中の支点を中心にして、両端に紐かなんかで皿状のものをぶら下げる天秤棒を作り出したのがヒントとなりました。

レンガを運ぶ男
(古代エジプト王墓の壁画・紀元前1500年頃)

獲物の鳥を運ぶ男
(古代エジプト王墓の壁画・紀元前1500年頃)
 こうして人間は、天秤バカリと称する道具を発明したのですが、それがいつ頃作り出されたのかは必ずしも明確ではありません。しかし、恐らく交易が始まり、モノにどれだけの価値があるのかを決める一定の約束事といいますか、そうした必要性に迫られたとき生まれたのでしょう。ですから、都市国家が生まれたオリエントでは、紀元前3000年前後に天秤バカリは出現したと考えられます。そのことは考古学調査によって裏付けられています。エジプトでは天秤バカリが出土していますし、壁画のなかにも天秤バカリが多く見られます。また、モヘンジョダロやハラッパなどインダス文明の遺跡からも紀元前2500年頃の天秤バカリの皿や分銅が出土しています。そして、モヘンジョダロの壁画にもそれを使った様子が描かれています。
 ところで、はかるという行為は、一つの大きさの基準になる量を決めるということです。それが決まると、その2倍、3倍の重さとなるものが作られていきます。そして、その重さの基準となるものが分銅です。ですから、ハカリと分銅は常に一体のものであり、天秤バカリには、分量を示す単位としての分銅が必要なのです。そのモノと分銅とが水平に釣り合ったときに、はじめてそれがいくらのモノであるかを示すことができるのです。その単位を表わす基準になったのがオリエントでは麦の粒でした。それはグレインという単位で、麦10粒が基準でした。また、メソポタミアの重さの単位に「シクル」がありますが、1シクルは 180粒の麦が基準でした。

金属の輪をはかる書記
(古代エジプト王墓の壁画・紀元前1500年頃)
 先ほども言いましたが、天秤バカリは最初、ラピスラズリやトルコ石などの貴石や宝石、貴金属、銅や錫などをはかるのに用いられました。それがやがてさらに交易が発展していくとともに、香料や薬などのような極めて小さいけれども価値の高いモノをはかるために、ハカリは使われるようになりました。となると大袈裟ですが、農業から工業へと発展するなかで、職人が大きな役割を担うようになったとき、天秤バカリは使われるようになったと言えます。例えば青銅を作るには銅と錫を合わせますが、その際、一定の比率に混ぜ合わすという知恵が必要となります。それはモノを比率的にはかるということです。

インダス文明で使われたハカリと分銅
(紀元前2000年頃)
 青銅を作るときの比率は、銅に12%の錫を合わせるのが良いとされています。天秤バカリは、その12%の比率をはかるための道具として使われるようになりました。それまでは稀少価値のモノをはかっていたのが、合金を作るためにはかるという、段々身近な生活から工業化へと進んでいったのです。それはエジプトの壁画にも描かれています。そう考えていくと、中国の青銅器文明で殷周時代にあれだけ優秀な素晴らしいものが作られていたのですから、中国でもこうした天秤バカリが使われていたと思われます。
 ハカリについては、私たちにとってあまりにも身近すぎて,普段あまり考えることがないかもしれません。しかし、はるか5000年前に稀少価値のモノをはかったりするものから、利器を作り出すために使われていったように、ハカリの果たした役割にはとても大きいものがありました。そうしたことを改めて知ることは、古代オリエントの文化を認識するうえでも大切なことと思われます。
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