講座 『シルクロードの謎』
【第10回 ゾロアスター教と杜子春伝】
 シルクロードの宗教のなかにゾロアスター教があります。それはかつてペルシア(現在のイラン)の国教でした。今日ではほとんどがイスラム教に改宗されていますが、それでも現在、一部の共同体やインドの一部などで熱心に信仰されていますし、西欧でも一部細々と信仰している人がいます。
 皆さんは「杜子春」の話をご存じだと思います。これは唐代の物語で、元来は仙人や仙術などが出てくる『唐代伝奇』に収められていたものですが、このなかにゾロアスター教つまり拝火教に関わるものが出ています。ゾロアスター教は紀元前 630年頃に生まれたものですが、そのルーツを探る拠り所となるものに『新約聖書』があります。その「マタイ伝」福音書のなかに3人の東洋の博士がキリストの誕生を祝福したことを記したところがあります。この3人はギリシアの言葉でマゴスといいます。これは本来ペルシアの聖職者を意味するもので、彼らは占星術や多くの密教的な知識を通じて予言の能力を有していました。日本のイタコのようなものであろうと思います。

ゾロアスター教
(「ニュービジュアル新詳世界史図説」浜島書店より)

「唐代伝奇」(翻訳版 明治書院より)
 マゴスは複数形で、普通はマギと言います。そのマギは数多くの伝説などに登場しています。マギは英語のマジックの語源になっています。マタイ伝のなかには星を見てキリストの誕生を知ったり、夢のお告げがあったりという記述がありますが、ギリシア語のマゴスは、古代の秘教を伝えた人即ちゾロアスター教にとっては師匠にあたる人でした。ですから、当然、ゾロアスター教はキリスト教にも影響を与える要素をもっていたのです。

 ゾロアスターはツァラストゥラと言いますが、彼は紀元前 630年頃、東イランの地で生まれました。彼はブッダよりも 200年くらい早く生まれましたが、いろいろな面でブッダと比較されます。
 ブッダはインドの賢者たちが言うには、誕生のとき七歩あるいて、「天上天下唯我独尊」と言ったといわれていますが、ゾロアスターの方は笑って生まれたと言われています。人間は普通「オギャー」と泣いて生まれてくるのですが、ゾロアスターは笑って生まれてきたのです。ちょっとノーマルではありませんが、イランの賢者たちは、「ゾロアスターが世界を立て直す、至福の到来を予見して、その救世主であることを示すことから笑いながら生まれてきたのだ」と言っています。普通赤ん坊が泣くのは、人間はいずれ必ず死ななければならない。その運命を悟っているが故に生まれた瞬間に「オギャー」と泣くのだという話とよく対比されるものです。

 ところで、ゾロアスター教で一番高く祀られているのはアフラマズダという火の神です。光輪を持つアフラマズダの姿は、イランなどの神殿にモチーフとして描かれています。それはゾロアスター教のシンボルマークといえるもので、左手の輪が宇宙の支配権、右手は祝福のしぐさを描いたものとされています。

 ゾロアスター教が広島となにか関わりがあるかというと、地元の自動車メーカーであるマツダのシンボルマークに関係があります。マツダはアルファベットでMAZDAと表し、Zをもじっています。これはアフラ・マズダのマズダを将来の光明を願ってマークに使ったものです。ですからこじつけですが広島にもゾロアスター教の影響を受けたものがあるということになります。


   自動車メーカー・マツダの登録商標
    (「東洋工業五十年史」より)

ゾロアスター
(「カラー版世界宗教事典」教文館より)
   
 ゾロアスター教は、イランのアケメネス朝ペルシアからササン朝へと続き、やがてイスラム教国家に変わっていくなかで、落ちぶれた人たちが流れ流れて、唐の時代に文化とともに中国にやってきました。いろいろな国からの伝説や宗教などがありますが、なかでもマジック的なものが人々の関心を呼び、そこから多くの話が生まれました。それらは『唐代伝奇』にまとめられています。これは実際には次の宋代にできたものなのですが、そこに収められている「杜子春伝」にはゾロアスター教の要素を含んだものが多くあります。そして、この「杜子春伝」をもとに書かれたのが,芥川龍之介の『杜子春』です。彼は、李復言の「杜子春伝」を翻訳したものを、『赤い鳥』に発表して、日本で名が知られるようになりました。
 ところで、『唐代伝奇』にある「杜子春伝」のあらましは、次のようなものです。
 杜子春は親類から相手にされない放蕩者で、極貧の生活をおくっていました。ある日の夕暮れ、東市の西門で溜息をつくと、一人の老人が現れて 300万の銭をくれました。しかし、それをすっかり使い果たし、再び老人に会ったとき、老人は今度は1000万の銭をくれたのですが、それも使い果たし、3度目に老人と会ったときに、「これでも駄目ならおまえは救いようのない奴だ」と老人に言われます。そして、またまた3000万の銭を渡されます。ですが、杜子春は今度こそすべてをやり直そうと、老人に仙術を教えてもらいたいと頼み、老人と約束した西安の東の華山の雲台峰に行きます。この老人は実は道士であり、杜子春を座らせて、「どんなことがあっても口を聞いてはいけない」と言って立ち去ります。いろいろな地獄の苦しい目にあいますが、杜子春は約束を守って、一切口を聞かないままで通していました。しかし、最後に自分が女に生まれ変わらされて、結婚をするのです。そして、夫が我が子を殺す場面で、「ああ」と思わず声を出してしまいます。その途端に老人と別れたときの元の状態に戻り、辺りは大火事になってしまうのです。老人が言うには、「『ああ』と声を出したばっかりに、自分が仙人になる薬が完成しなかった」ことや、「杜子春自身が仙人になれなかった」ことを述べて、杜子春を立ち去らせ、以後、二人は会うことはなかったというお話しです。


唐代の長安の西市とゾロアスター教寺院の位置図
(「ニューステージ世界史詳覧」浜島書店より)

長安(西安)のシンボル大雁塔
 この作品は、人間の情のうちで、愛というものが最も断ち難いものである。仙人になる才能がいかに得にくいものであるかを嘆いた話しです。その根拠には道教的な人生観が底流にあります。

 ちなみに、『唐代伝奇』の「杜子春伝」と芥川の『杜子春』とでは、時代が周から隋にかけての頃と唐、場所の設定が長安と洛陽、声を出す場面が子への愛即ち「慈」と母への思い即ち「孝」、老人が与えたものが銭と黄金、季節の設定がある冬の日とある春の夕暮れといった4つの違いがあります。
 陳舜臣氏は、「洛陽は芥川好みなのであろう。唐の玄宗皇帝の都はギラギラした感じがするので、落ち着いた感じがする洛陽に設定したのだろう」と言っています。

 話は戻りまして、ゾロアスター教に直接関係する部分があります。それは「杜子春伝」の方にしか出てきません。長安の東市で溜息をついていると、一人の老人がやって来て、次のようなことを言います。
 「おまえに 300万の銭をやることにする。明日の昼、西市の波斯邸(ペルシア屋敷)で待っている」と。西市には波斯胡寺、西南隅に祆教の祠などがあります。ゾロアスター教のことを祆教といいます。祆教が「唐代伝奇」に載っているということから原田淑人先生は、ゾロアスター教がこの辺りで盛んだったのだろうと言われています。
 芥川では四川省の峨眉山、「唐代伝奇」では華山の雲台峰ですが、ここに薬炉があって、薬の炎が燃えている。それを飲ませて仙術を得ることをあげています。薬の炎といっているのは、ゾロアスター教に出てくるハオマ酒のことだと思われます。長安にもたらされたゾロアスター教は、西市に祆祠が置かれています。祆は胡の神です。芥川の『杜子春』のなかには、「唐代伝奇」の内容を改変したものがあり、日本人の心に合うように作り直したのです。ですから、元を辿ればペルシアからのお話しであり、ゾロアスター教の要素などが多く含まれていて、それらのことを知るうえで興味深いものがあります。


芥川龍之介「杜子春」新潮文庫
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