講座 『シルクロードの謎』
【第11回 鉄と銅のはなし】
 人類の歴史は紀元前3000年までを石器時代、紀元前1000年までを青銅器時代、それ以後を鉄器時代とし、現在もなお鉄器時代は続いています。これはデンマークのトムセンが分類したもので、一般的に受け入れられているものです。したがって、私たちがいわゆる文明や文化と関わりをもったのは青銅器時代からのことと言えましょう。メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の各文明が起こり、その後にギリシア、バビロニア、ヒッタイト、殷周などの文化が続きます。ここでは、文明や文化に大きく貢献した金属、とりわけ鉄と銅についてお話しましょう。
 先ず、鉄についてです。最初に使われた鉄は、隕鉄だったか鉄鉱石だったかという問題があります。隕鉄ならば地表で採集したもの、鉄鉱石ならば山火事や焚き火などによる鉄鉱床の発見が要因としてあげられましょう。しかし、最初の鉄にはニッケルが含まれていることが最近の化学分析でわかったため、隕鉄の方が古いというのが有力となっています。

隕石飛来地点
(中国新疆ウイグル自治区アルタイ市)

鉄鉱石
 隕石は宇宙から年間2千個ぐらい飛んでくるそうですが、隕石には鉄分を含まないいわゆる隕石、隕鉄,石と鉄の混合した隕石鉄の3種類があります。そして、落ちてくる隕石のうち7〜8個に1個が鉄を含んだものと言われています。 現在までのところ隕石は古代文明の起こったところではあまり発見されていません。しかし、古代文明における鉄は、隕石を使ったというのが有力になっています。そして、その技術を獲得し、ものにしたのがオリエントだったらしいのです。トルコのアラジャホユック遺跡からは隕鉄を使って作ったピンなどが発見されています。
 次は銅についてです。銅は、金と同じように粘り気があって伸びたりする性質をもっています。ちなみに、16世紀にポルトガルが南米に侵入したとき、現地人が釣針に金を使っていてびっくりしたという話があるほど、金は比較的容易に細工ができる鉱物です。その金と銅は同じところに多く共存しており、硬度も同じ、融点も同じです。漢字の語呂合わせではないですが、銅は金に同じと書きます。ちなみに鉄は金属の王者で、昔の字の鐵は、金属の王たる哉と書きます。

自然銅
(「隔週刊トレジャー・ストーン」
デアゴスティーニより)

金鉱石
(「中国地理紀行Vol.15」AsiaGeoより)
 銅には引っ張ると伸びる延性と、叩くと薄くなる展性という2つの性質があります。この性質があったから、石器から青銅器へと替わっていったのです。石器の素材である石は、そこら中に転がっているので、石の方が利用しやすいはずです。しかし、石からは一定の大きさのものしか作れません。しかも壊れます。一方、金属は引っ張れば伸びるし、叩けば厚さの調整も可能なことから、やがて金属の方が発展していったのです。
 金属は叩いて作っていきます。それは熱を加えて叩くのですが、そのきっかけは山火事などによる知恵からだと言われています。ところで銅製品は、叩いただけでも作れますが、脆さがあります。叩けば叩くほどどんどん柔らかくなっていきますが、そこには強さが加わりません。それを克服したのが、いわゆる焼きなましというものです。焼いて硬くなったのを叩いて、脆さを克服していったのです。その鍛造という技術が生まれ、それが鉄を作る技術へと発展していったのです。

トルコ・アラジャホユック遺跡

ヒッタイト帝国の都・ハットゥッシャ(トルコ)
 鉄は、カスピ海の南東か東北イランが発祥地で、それがトルコの方へ伝わっていったと言われています。その鉄の製法は、一般的にはヒッタイトが秘密裏に独占していましたが、紀元前1200年頃に滅ぼされると、その技術はたちまち国外に広まっていきました。
 鉄は炭素と結びつくことによって、鉄器という利器ができます。一方、銅は炭素とは結びつきませんが、他の金属と結びつくことによって硬くすることができます。その金属で相性のいいのが錫で、そこで出来たのが青銅です。銅と錫の比率は9:1が一番硬く、用途としては一番良いとされています。銅に錫が合わさると、鉄のハガネのようになります。その割合の分量を決めて6種くらいに配合して青銅器を作っていったのが中国の夏や殷、周の時代でした。とりわけ西周時代の青銅器は素晴らしいもので、錫との配合のなかで作られていったことがわかっています。殷周時代の青銅器は、誰が見ても完成されたものだと思います。このように金属を溶かして作る技術を鋳造といいます。

蜜蝋を使った鋳造
(「古代オリエント博物館図録」より)

青銅器・毛公鼎(西周)台北故宮博物院蔵
 この鋳造の技術に、蜜蜂の蜜蝋を使った製法があります。紀元前4000年紀の西アジアのパレスチナで既に行われていたものです。蜜蝋を例えばヤジリの形に作り、その周りに土や粘土を貼りつけて、それを火にかけて焼くと土器ができ、その代わり蝋は溶けて、その形だけが残ります。もう一つは、ある形のものを土器で作って、そこに蝋を塗り、その上に同じ型のものを重ねて焼くと蝋の部分が空洞になり、銅鐸のようなものを作ることができます。蜜蝋での鋳造法にはこの2つがあります。
 銅や鉄は、最初は叩いて伸ばして板にしていましたが、人間は熱を加えることによって柔らかく、また叩くことによって脆さを克服することができるという鍛造の技術を覚えました。その後、さらに熱を加えることによって、例えば強い風が吹いて温度が高くなると、融点に達してそれが溶けるということを知ります。そうして人間は、金属を高く熱すると溶け、それを冷やすとまた違った物質ができる鋳造の技術も覚えたのです。

鉄分を含んだ山肌を見せるパミール高原
(中国新疆ウイグル自治区カシュガル市郊外)

カシュガル職人街の金物職人の店先
 熱を加えるという知恵は、火事だったのかも知れませんし、或いはたまたま火のそばで叩いていた職人が、何かの拍子で火のなかに入ってしまったのを、熱いので取り出せなくて、覚めるまで待っていたために覚えたものかも知れません。つまり、人間は偶然ながら熱を加えたら、柔らかく細工がしやすくなることを知ったのです。人間は何もそんな難しいやり方をしなくても、石を使ってものを作っていてもよかったはずです。しかし、叩いたり伸ばしたりしていろんな道具を作ることを知った以上、石だけでは満足できなくなったのです。そこがホモ・サピエンス即ち知恵ある動物たる所以でしょう。
 このようにシルクロードには、鉄や銅などから金属器を作る知恵や、それを育んできた技術のカギとなる多くのヒントが秘められています。そうした歴史の跡を探るのもシルクロードの大きな魅力の一つと言えます。
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