土曜日の昼下がり。
 日頃はまったく用の無いオフィス街をあかねは一人で歩いていた。
 手には一泊分の着替えの入ったバック。
『おしゃれをしておいで』
 そう言った恋人の言葉通り、あかねが纏うのは買ったばかりのワンピース。
 フワリと柔らかな淡いクリーム色の生地に、左の肩からスカートの裾にかけて絵のように鮮やかな花の柄が入ったもの。
 ノースリーブのそれに強い日差しを避ける為カーディガンを羽織って歩く姿は清楚で、道行くビジネスマンがふと目を留めるほどだった。




 あかねの目指すビルは、このビジネス街でも大きなビル。
 1階には大手銀行の支店とカフェテラスがあるので、とても人の出入りが多い所だ。
 カフェテラスの部分は吹き抜けで、道に面した大きなガラスは採光とデザイン性を重視している。
 しかし場所柄、商談にも使われる事を考えた中2階は、洒落た手すりで外や下から誰がいるか分からない造りになっていた。
 3階から上の階のオフィスは一社しか入っていない。
 もちろんこのビルの持ち主の会社だ。
 そしてあかねをここに呼んだ人物も、このビルのどこかに居るはずだった。





 あかねはビルの回転扉をくぐり、まっすぐにカフェテラスの横を通り過ぎていく。
 かっちりとしたスーツの群れの中では、あかねの纏うワンピースは異質なもの。
 しかもどう見ても10代のあかねに好奇の視線が刺さるのは当然のことかもしれなかった。
 あかねは居心地の悪さに、足を速める。
 目指すエレベーターホールには、ガードマンが立っていて辺りに目を光らせている。
 どうやら無断で社員以外は使えないようだった。
 あかねはその横にしつらえられた、二人の女性が座る受付カウンターへと進んでいった。




 いつもの来客とは毛色の違うあかねの登場に、受付嬢は困惑しながらも、表面は見事な笑顔をあかねに向けた。
「いらっしゃいませ。御用をお伺いいたします」
「あの・・・・、橘友雅さんを呼んで頂きたいのですか・・・」



 可愛らしい少女の口から告げられた名に、応対していた受付嬢は一瞬聞き間違いかと隣にいる同僚に目を向ける。
 だが自分と同じように驚きに目を見開いている同僚を見て、聞き間違いで無い事を確認したのだった。



 10人いれば9人は確実にいい男だと評するだろう、橘友雅。
 その華やかな外見とはうらはらに、社内では浮いた噂ひとつない。
 そんな友雅を訪ねてきた、どうみてもプライベートな関係の少女。
 そう、まだあどけない少女なのだ。
 いけないと思いつつ、どんな関係なのか気になってしまう。
 しかしそこはプロだ。内心の動揺など欠片も見せず彼女はニッコリと頷いてみせた。
「橘は取締役の橘でよろしいのでしょうか?」
「はい!私、元宮といいます」
「元宮様ですね。大変失礼ですが、アポはおありでしょうか?」
「はい」
「では確認いたしますので、少々お待ちくださいませ」
 頭を下げた受付嬢の横では、もうひとりがすでに内線で連絡を取っていた。
 その為、あかねは1分と待つことなく友雅が遅れる旨を伝え聞いたのだ。
「申し訳ございません。橘はただ今取り込み中の為、元宮様とのお約束のお時間には少し遅れるそうです」
「そうですか・・・」
「大変申し訳ございませんが、カフェテラスの方でお待ちいただくよう、橘が申しておりました」
 受付嬢の言葉に、あかねが肩を落とした。
 この居心地の悪さがまだ続くのか・・・・
 しかし今日が休みの学生のあかねと違って、友雅はまだ仕事をしているのだ。
 我儘はいえない。
 あかねは丁寧に応対してくれた受付嬢に礼を言うと、カフェテラスの方へ戻っていった。




 あかねはカフェテラスの奥、あまり人目につかないテーブルに付いてカフェオレを飲んでいた。
 ビジネスビルにある所だからと思っていたが、なかなか味がいい。
 入り口から持ってきたファッション雑誌をめくりながら、カップを傾けた時だった。
 ザワリと空気が動いたのだ。
 あかねの周りの人の意識がある一点に集中していくのが分かった。
 なんだろうと不思議に思いつつ、あかねは背後を振り返った。




 カフェテラスの入り口から、一組の男女を従え、あかねの座っている方へと迷いなく歩いてくる美丈夫。
 グリーンベージュのスーツをキチンと着た姿は、普段の彼を見慣れているあかねさえ見惚れる程だ。
 ダブルのスーツに負けない、しなやかな筋肉のついた体、滑らかな所作。
 長く波打つ髪を後ろでゆったりと結び、京で気だるげにくつろげていた胸元には、しっかりとネクタイが結ばれている。
 その見覚えのあるネクタイに、あかねの顔が喜びに綻んだ。



「あかね、遅くなってすまないね」
 友雅があかねの側に来る前に、あかねはイスから立ち上がった。
 謝罪する友雅に、あかねがとんでもないと首を振る。
「うううん。友雅さん仕事忙しいのでしょ?大丈夫?」
 心配そうに上目遣いで友雅を見上げるあかねを、抱きしめたい衝動にかられながらも、友雅はなんとか踏みとどまる。
「ああ、大丈夫だよ。これはまた綺麗だね、あかね。よく似合っているよ」
 両手を広げ、あかねの姿を褒めてくれる友雅。
 あかねは頬を染め、照れくさそうに微笑んだ。
 



 そんなラブラブな二人の横で、あかねの座っていたテーブルから伝票と雑誌を取り、さっさと支払いに行ったのは如月である。
「榊、あかね様の荷物お願いね」
 隣に立つ男に、あかねのバックを渡したのも彼女だ。
 榊は静かに二人の会話を聞いていたが、如月の支払いが終わったのを見計らって声を掛けた。
「社長。そろそろ車がまいります」
「そうか。では行こうか、あかね」
「あ、まって、コーヒー代・・・・。えっ?」
 振り返ったテーブルには、伝票はおろかさっきまで見ていた雑誌さえもなかった。
 びっくりして固まったあかねに、榊は笑いをこらえタネを明かした。





 玄関まで送ってくれた2人の秘書に、あかねは深々と頭を下げて礼を言ってからハイヤーに乗り込んだ。
 その素直な可愛らしさに榊も如月も好感を抱かずにはいられない。
 走り去っていくハイヤーの後ろを見送りつつ、如月は深く深く息をついた。
「どうした?」
 それに気付いた榊が如月に声をかける。
 如月は、首を軽く振って肩をすくめた。
「ラブラブで羨ましいな、と思っただけよ」
「そうか?」
「あかね様の相手が女の敵ってのはちょっと疑問なんだけど、大切にされてるようだし・・・・。私も社長の10分の1でも気が利く恋人が欲しかったわ」
「そうなのか?」
「ええ、仕事仕事でデートにも誘ってもらえないのは悲しいわよ。いくら毎日顔を合わせていてもね」
 不満を口にしながらちらりと隣に立つ榊を見上げれば、彼は芝居がかった仕草で如月に向かって頭を下げた。
「これは失礼。では今宵、ディナーにでもお付き合いいただけませんか?」
「・・・よろしくてよ」
 気取って答える如月には、幸せに満ちた笑顔が浮かんだのだった。





                                      <続>
                                      02/09/17









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ホテルはどこ?
次回から舞台はホテルです・・・・たぶん・・・・