土曜日。





 あかねは約束通り、駅前で天真を待っていた。
 身体のだるさとすぐれない気分は相変わらず。
 それでも、少しは自分でも持て余しているうっとおしい気分を晴らす事が出来るのではないかと思ってやってきたのだ。
 人といれば、無理にでも笑えるからまだ大丈夫だと思って……。
 あかねが駅前に着いて5分もしないうちに爆音を轟かせ、一台のバイクがあかねの前に滑り込んできた。
「天真くん!」
 いつものように明るい笑みを浮かべて、小さく手を振る。
 笑える自分にホッとしながら……。
 天真は手を振るあかねに答え、軽く手を上げてからメットを外した。
「よお!待ったか?」
 フルカウルのバイクは綺麗に磨かれていて、天真がどれだけこれを大切にしているかが、まったくバイクの知識がないあかねにも分かった。
「ううん。今来たところ。今日はよろしく!」
「おう!好きなところに連れて行ってやるぞ」
 マフラーも変えたばかりだしな、と悪戯っぽい少年の笑顔を浮かべ、天真は用意していたフルフェイスのメットをあかねに放った。
「マフラー?」
「ああ、これだよこれ。ちびちびとだけどカスタムしてるんだぜ」
「すごいね〜」
 バイクを語る天真の瞳は、きらきらを輝いている。
 あかねは眩しそうに目を眇めて笑った。
「ただ好きなだけだ。あかね、どこに行きたい?」
「う〜ん、そうだね。……涼しいところかな?」
「りょーかい!じゃ、乗れよ」
「よろしくお願いしま〜す」
 あかねはメットを被ると、天真の後に乗って彼の身体に腕をまわしたのだった。






 
 乗り慣れた車とは違う目線と速さで通り過ぎていく風景。
 肌を叩くような強さの風。
 それらすべてが初めての経験で、あかねは暑さも忘れてその時間を楽しんでいた。






 
 どうしてだろう?
 暑さで苛立っていても、あの人以外の人にはいつものように笑えるのに。
 いつもの自分を演じていられるのに……。
 どうして……?
 あの人の前では、それが出来ないと思ってしまうのだろうか?






 わからない……。






 あかねの希望通りの色々なところへ連れて行ってくれた天真に、あかねが最後にお願いしたのはお墓参りだった。
「墓参り?」
 意外な行き先に、天真が目を丸くする。
 あかねは天真の反応に、申し訳なさそうに首を竦めて、彼を上目遣いに見上げた。
「ダメ?最近行ってないし、ちょうど月命日だから……」
「別にかまわねーけど。じゃあ、まずは花屋か?」
「あ、そうだね。お花買わないと……」
 ぶっきらぼうだけど気の利いた天真の言葉に、あかねが手を打つ。
 そして途中で寄ってもらった花屋で、お墓参りには少し不似合いなピンクのガーベラを購入したのだった。






 菊もいいけれど、どうせなら母親が大好きだった花を供えたかったから。






「今日はありがとう、天真君」
「気分転換になったか?」
「うん。気持ちよかったよ。また乗せてくれる?」
「ああ、またあかねが落ち込んだ時にでもな」
 寮の近く、天真はエンジン音をさせないために、バイクを押しながらあかねと並んで歩いていた。
 さすがに寮の前までバイクで乗りつける事は出来ないが、あかねを寮の見えるところまで送るため、こうして重いバイクを押しているのだ。
 天真の優しい心遣いに、あかねがうれしそうに笑いながら話しかける。
 天真はその愛想の無い乱暴な物言いで、女の子達に少しだけ怖がられてしまうのだが、とても優しくて照れ屋なのだとあかねは知っていた。
 さっぱりとした気性は裏表がなくて、その点でも天真はあかねにとって安心できる存在だった。
 
 カーブを曲がりきれば、寮が見えてくるというところで、不意にあかねがぴたりと足を止めた。





「あかね?」
 前触れもなく、唐突に立ち止まったあかねを天真が不思議そうに振り返った。
 あかねは今までの笑顔を消し、強張った表情でまっすぐに道の先を見詰めている。
 天真は訝しげに眉を寄せ、ゆっくりとあかねの視線の先へと眼をむけた。
 






 カーブの先に停まったエンジンをかけたままのシルバーのシトロエン。
 見慣れぬ車に、天真が警戒心も露わにそれを見る。
 カタン…と音がして、シトロエンのドアが開いた。
 手入れの行き届いた靴が、熱く焼けたアスファルトに下ろされ、続いて車内から姿を現したのは、淡いベージュの麻のスーツを纏った美丈夫だった。
 強い日差しを避けるための濃いサングラスが、もともとの美貌にさらに磨きをかけているようだ。
 長身の男は黙ってサングラスの奥から、鋭い眼差しで二人を見つめていた。






 濃いサングラスで瞳は隠れているのに、ちりちりと刺すような強い視線を感じる。
 天真は反射的に、男を睨みつけた。
「……お兄ちゃん」
「えっ?」
 立ち竦んだままのあかねの唇から零れた小さな声に男を睨んでいた天真が驚き、目を見開いてあかねと男を交互に見やった。
「あかね…」
 その美貌に相応しい響きの良い美声が、天真の隣に立つ少女を呼ぶ。
 あかねは小さく体を震わせ、ゆっくりと瞬きをしてから、そっと足を踏み出した。
「あかね!」
 手を伸ばしてしまったのは何故だろう?
 考えるより先に、何故か天真は兄と呼んだ男の元へと歩み始めたあかねの手首を掴んだ。
「……天真君」
 突然、天真に手を掴まれたあかねが、困ったように振り返った。
「あかね……」
 何を言っていいのかわからない。
 でも……。
 兄という男の視線に、どこか得体の知れないものを感じた天真は、あかねを反射的に止めてしまったのだ。
 しかし何も分かっていないあかねは、天真に向かって不思議そうに首を傾げた。
「天真くん?…」
「あ……」
 天真は言葉に詰まって、あかねを見つめるだけだ。
 そんな天真に、あかねは少しだけ表情を和らげる。
「今日はありがとう、天真くん。お迎えが来たから、家に帰るね…」
 あかねは黙ってしまった天真へ今日一日見せていた笑顔とは違う、どこか無理した淡い笑顔を見せた。
「家に帰るって、お前今週は……」
「うん、でもお兄ちゃんが来たから……。外泊手続きするよ」
「………」
「今日は本当にありがとう。またね」
 あかねは自分の腕を掴んだままの天真の手に手を重ねると、力を抜いたその手からするりと離れていった。
 天真に背中を向けたあかねは、ここまでと同じゆっくりとした歩調で男に近づいていく。
 そして男と何も言葉を交わさぬまま、慣れた仕草でシトロエンの助手席に乗り込んだ。
 男はあかねが乗り込んだのを確認して、再び長身をかがめて車内へと戻る。
 しかしその一瞬、サングラスの端から覗いた鋭い眼差しが、天真を強烈に射抜いたのだった。






「何なんだ……。あいつ……」
 天真の呆然とした呟きが、ぽつりと地面に落ちた…。
 










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