露わになった首筋に友雅の冷たい唇が触れる。
 友雅を押しかえそうとして手を突っ張るが、男の力にはかなわない。
「やめて!!やめて!!」
 あかねの悲痛な叫びが空気を震わす。 
 どうして、何故?
 あかねを力で押さえつけようとする友雅に、暴れて逆らいながらあかねは目尻から涙をこぼした。
 理不尽な扱いが悔しくて悲しくて……。
 ボタンを引きちぎられてしまったブラウスは、あかねが動くたびその白い肌から滑り落ちていく。
 友雅は白く滑らかなあかねの胸元を、一際強く吸い上げる。
 ピリリとした痛み。
 痛みに微かに喉を鳴らしながら、助けを求めあかねは足掻くように腕を伸ばした。その指先に何か固いものが当たる。
 あかねが目を向けた先には、銀色に輝くソムリエナイフ。それは先ほどあかねの腕が薙ぎ払い、床に散らばした物の一つだった。
 自分の肌を暴いていく友雅の手を感じながら、あかねは一瞬の躊躇いの後、銀色のそれ掴み上げ友雅の背中の向こうへと掲げ上げる。




 
 自分を力で押さえつけ、肌に顔を埋める友雅へ振り下ろせば、きっと逃れられる。
 ナイフを友雅の眼前に突きつけるだけでもいい。
 しかし、あかねにそんなことは出来なかった。
 どんなに憎もうとしても、どんなに意地を張っても、忘れられなかった愛しい人……。
 抱きしめて欲しかった、優しくキスをして欲しかった。
 だからこそ、こんな風に力ずくで抱かれたくなかった。
 酒気を孕んだ吐息が、あかねの鼻腔に届く。
 酔った勢いもあるのだろう。普段の兄では絶対に考えられないこの仕打ち……。
 




 明日になって、過ちだったといわれるくらいなら……。





 今まで腕の中でもがいていた華奢な体が急におとなしくなった違和感に、友雅は顔を上げた。
 同時に、あかねが低く喚いて苦しげに顔を歪めた。
「あかね?」
 その白い頬にポツリと咲く、赤い小さな花……。





 違う!これは血だ!





 サッと顔色を変えた友雅の目に、あかねの手に握られ光を反射して鋭く煌くソムリエナイフが映った。
 それがあかね自身を再び傷つけようと振り翳される。
「!!」
 友雅があかねの細い手首を掴みギリギリと締め上げる。
 関節が悲鳴をあげる、容赦ない力。
 あかねのナイフを握る力が奪われ、それはカタンと音を立てて床に転がり落ちた。
 友雅はすかさずそれをあかねの手の届かぬ部屋の隅へと滑らせる。
「あかね……」
 傷ついた手首に血が流れる。
 友雅はその色を見て、ホッと息を吐く。
 動脈に届くほど深く切ったわけではなかった。肌の表面を傷つけただけだ。ソムリエナイフだったのが幸いした。
 友雅はそっとあかねの手を取り、傷口に唇を近づけた。
「ふっ……」
 彼の舌先が傷に触れたとたん、あかねが微かに吐息を零す。
 あかねの手首に口付けたまま彼女を流し見れば、あかねは目を閉じ眉根を寄せて何かに耐えている様だった。
 何に耐えているのか……。痛みか屈辱か、それとも快楽か…。
 あかねの傷はたいして深くなく、すでに出血は止まりかけている。
 友雅は自分のネクタイの結び目に指をかけ、シュルリと衣擦れの音をさせて引き抜くと、慣れた手つきであかねの傷を覆った。
 そして血で汚れたあかねの頬を親指で拭おうとしたが、凝固しかけた血が取れない。
 友雅は躊躇う事無く、そこへゆっくりと唇を寄せた。
 頬に友雅の唇を、吐息を感じる……。あかねの視界を覆うのは友雅の長く波打つ髪……。
 深く息を吸い込めば、友雅愛用のコロンが香った。
「……何故?」
 震える吐息と共に零れた少女の言葉が、友雅の耳を擽った。
 友雅はあかねの目尻から溢れ落ちた涙を唇で吸い取り、そっと彼女の耳朶を柔らかく咬んだ。
 ピクリとあかねの体が跳ねる。
「あかね……」
「酷い……。どうして……」
 少女の朱唇から零れる弱弱しい恨み言さえ、友雅には甘美な響き。





 先ほどまで体中に荒れ狂っていた、狂気じみたいいしれぬ想いが落ち着きを取り戻す。
 それでも友雅に、この腕の中の少女を手放そうという考えはなかった。
 手放せば、再び飛び立ってしまう愛しい小鳥。
 ならばいっそ飛び立てないように、羽を折ってしまいたい、この手で……。











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