彼女に会ってどうする気だ?
俺は自分に問いかける。
彼女の声を聞きたくて、彼女が足を運んでくれたトーク番組を口実に電話を掛けた。
俺は臆病だから、きっかけがなければきっと今も何も出来ないままだっただろう。
電話を取った彼女は、最初こそ驚いたものの、すぐに昔と同じように笑って俺に話しかけてくれた。
人気者だった彼女は相変わらず大勢に囲まれていて……。
彼女を呼ぶ男の声。
一瞬、息が止まった。
そして感じた。
彼女はもう前を向いてしっかりと歩き出しているのだと。
過去を悔やんでいるのは俺だけなのだと。
あの事件の時もそうだったように。
華奢な少女でありながら、彼女は誰よりも鮮やかで潔く、前向きだった。
すでに彼女の手を振り切った俺のことは、もう過去になっているのだろう。
そして、彼女は彼女の道を歩いている。
彼女はもう俺を想っていないだろうに……。
俺はそんな彼女と会って、どうしたいのだろうか。
彼女がいるはずの店に車を走らせながら、俺は自分自身の行動に戸惑っていた。
あの時、一途に慕ってくれる彼女を傷つけたのは俺だった。
そんな愚かな俺を、優しい彼女は、きっと笑って許してくれるだろう。
そして昔一緒に過ごした時のように、変わらずに接してくれるに違いない。
彼女はそんな心の広さとしなやかさを持った子だから。
だから惹かれた。
今でも惹かれ続けている。
今の彼女に会って、俺はどうしたいのだろう。
別の道を歩いている彼女に。
彼女を前にして、俺は冷静でいられるのか。
自分自身に不安を抱えながらも、俺は彼女に会えるチャンスを逃したくなかった。
すでに彼女の中で、俺が過去のものになっていた時。
変わらない気持ちはない。だから当たり前なのだ。などと、冷めていられるだろうか?
なんでもない顔をして、彼女の新しい恋を祝福できるのだろうか。
俺はいったい………。
「むぎちゃん?」
「わあ!!」
突然、間近に男の子の顔が現れ、あたしはびっくりして仰け反ってしまった。
それを見た、みんなから笑いが沸き起こる。
「むぎ、なにぼーっとしてるの?」
友達がくすくす笑いながら、あたしに身体をぶつけてくる。
「あ、ちょっとね……」
「お酒、全然減ってないじゃないか」
あたしが手に持っていた、まだ半分ほど残ってる酎ハイのグラスを、正面に座っていた男の子が指差す。
確かに減ってないけど、これ以上はちょっと……。
「少し休憩中〜」
そう言うと、一斉にブーイングがあがった。
「むぎ、今日はペースが遅いじゃん!」
「そうそう、飲んで飲んで。そしてカラオケで盛り上がろうぜ!」
そう言われてもね〜。
「ごめん、今日はちょっと限界なんだ。カラオケもパス」
するとますます大きなブーイングが。
でもホントにやばいかも。
頭が少しフワフワするし……。
「むぎちゃん、帰っちゃうの?それは無いんじゃない?」
ちょっとお笑い系の男の子が、わざと拗ねたように詰る。
楽しくないわけじゃないんだけど、何か気がのらないっていうか……。
酔いもいつもより早いみたいだし、疲れてるのかな?
こんな日は、無理しないに限る。
それにもうすぐ……。
「ごめんって。実は用事があって。もうちょっとしたら店出るから」
「えーーー!」
「むぎ!そんなこと聞いてないもん!!許さないよ!」
大学の女友達は、あたしの肩に縋りついて引きとめようとする。
うう〜ん、依織くんが到着する前にはお店の外に出ておきたいんだけど。
「勘弁!ね?」
両手を合わせて拝み倒せば、友達は頬を膨らませて自分が頼んだばかりのライム酎ハイをあたしの前に差し出した。
「帰るなら、これ飲んで!」
……目、据わってるんですけど?
かなり酔ってるな、これは……。
まわりは面白がって、やんややんやとはやし立てる。
「無理だって」
「そんなことないよ、むぎってばいつもより全然飲んでないんだもん。飲んでー!」
ダメだ。酔っ払いにまともな話は通じない。
っていうあたしも酔っ払いか……。
期待した目でじーっとあたしを見つめる友達の視線。
途中棄権してしまう後ろめたさもあって、あたしは仕方なく彼女の手からグラスを受け取った。
「飲んだら帰るからね」
「飲んだら許してあげる」
売り言葉に買い言葉。
確かに、今日飲んだ量は大した事無いから、まだこのくらいは平気な気がする。
さっさと飲んで店を出ちゃおうっと!
あたしは覚悟を決めると、グラスに口をつけた。
周りは『一気!』と手を叩く。
日頃は一気なんて絶対しないし、させないのに、今日はみんな酔っ払ってるな〜。
なんて、頭のすみで考えながら、あたしは出来るだけゆっくり酎ハイを流し込んていく。
「飲むなと言っただろう!!」
抑えた怒鳴り声が振ってきたと思ったら、あたしの手からグラスが突然奪い取られた。
ぱたぱたと、膝に広げたハンカチの上に水滴が零れる。
突然の乱入者に、騒いでいたコンパのメンバーが呆気に取られて、一瞬静まりかえった。
そして次の瞬間。
「松川秀之介!?」
女の子の黄色い声と、男の子の驚きの声がその場を埋め尽くした。
でも依織くんは、そんな周りの反応をものともせず、予定時間より早く現れた彼をびっくりして呆然と見上げるあたしの頭を、その大きな手でポンッと軽く叩いた。
「そんなに赤い顔をして。さっき僕が、それ以上飲むなと言ったのが聞こえなかったのかい?」
「依織くん?」
「依織くん、じゃないよ。まったく。早く着いてよかった。相変わらず無茶をするね」
本当に、あたしの目の前に立ってるのは依織くんなんだろうか?
「依織くん…」
少しだけ怒ったように見下ろす依織くんの袖を、あたしは恐る恐る掴んだ。
依織くんはそんなあたしの手を、軽く撫でてくれた。
あたしの手を包み込んでくれる、大きくて綺麗な暖かい手。
「迎えにきたよ。立てるかい?」
「あ、うん…」
あたしは依織くんの袖を掴んだまま、椅子から立ち上がろうとしたんだけど。
「むぎ!」
かくんと膝が崩れてしまったあたしを見て、友達が驚いて声を上げる。
でもあたしの身体は、伸びてきた依織くんの腕に支えられて、みっともなく座り込まなくてすんだ。
「足にきたみたいだね。だから飲まないように言ったのだけれど。……申し訳ないが、彼女は連れて帰らせてもらうよ」
依織くんが皆に一言断ると、いきなりあたしの身体をフワリと抱き上げた。
「依織くん!?」
あたしはびっくりして声を上げる。
そして当然グループのみんなはおろか、店中の視線を集めまくってた依織くんだから、他の席の女性からも大きな嬌声が上がった。
あたしは恥ずかしくて、ぎゅっと縮こまった。
「依織くんっ!歩けるから降ろして〜!」
「ダメ。言う事を聞かなかったおしおきだよ」
悪戯っぽく笑う依織くん。
ねえ、覚えているの?
まだあたしが偽の美術教師をしていた頃に、こうやって学園内を抱き上げて保健室まで連れて行ってくれた時、同じようなセリフを言ったよね。
それを覚えているの?
あたしは真っ赤になった顔を隠すため、依織くんの胸にしがみ付いた。
懐かしい依織くんの香りがあたしを包み込む。
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