依織くんがあたしの我儘をきいて連れてきてくれたのは、海辺の公園だった。





 アースカラーのタイルで舗装された遊歩道と柔らかな緑の芝生、そして等間隔に置かれたアンティークなベンチと外灯。
 綺麗に整備された広々とした公園には、風の冷たさの所為か、あまり人影はなかった。





 湾をはさんだ向こう岸の夜景が、暗い海に映ってキラキラと輝いている。
「寒くないかい?」
 冷たい風がアルコールで火照った頬に心地よくて、のんびりぽてぽて歩いていたら、ゆっくりと後を付いて来ていた依織くんが、あたしを気遣って尋ねてくれた。
「大丈夫……。酔い醒ましにはちょうどいいみたい」
 風に乱れる髪を押さえながら振り返って、あたしは依織くんに笑って見せた。





 依織くんに会うまでは、再会したらあたしはどうなるのかと考えて怖かったのに、依織くんがいざ目の前に現れたら、今度はさよならしてしまうのが怖くなってる。
 想いが叶うことはないと分かっていても、依織くんと離れたくないって思った。
 だからあたしは、酔い醒ましを口実に、わざとどんどん歩いて車から離れていく。
 少しでも長く依織くんと一緒にいたいから。







「かなり飲んだのかな?」
 依織くんが酔ってるあたしの行動を苦笑しながら見てる。
 仕方ないなってかんじの優しい眼差しで、あたしだけを見つめてくれてる。
 





 時間が経てば、昔と同じように一緒の時間を過ごせると思ってた。
 依織くんへの想いが、綺麗な思い出になれば、普通に笑って話せると思ってた。





 でも違う。





 依織くんと再会して、痛いほどわかった。





 依織くんと会えて嬉しい。
 また別れてしまうのが怖いくらい、依織くんの存在を近くに感じていられるのは幸せ。





 でもそれと同じ重さで、息が出来ないくらい苦しい。





 優しい笑顔であたしを見つめてくれる依織くんの気持ちは、あたしにはなくて……。
 あたしの恋心は、昔と同じように空回りしてる。






 いつかきっといい思い出になるなんて、自分に言い聞かせたのは、都合のいい嘘。
 どう足掻いたって、依織くんへの想いは止まる事を知らない。
 





 好きで、好きで、たまらなく好きで……。
 体から溢れてしまいそうなこの想いを押さえるのが苦しくて……。






 あたしは締め付けるように痛む胸を押さえ、再び依織くんに背を向けて歩き出した。






「……元気だった?」
 依織くんが、あたしに聞いたのは当たり障りのないこと。
 それが、なによりあたしと依織くんの想いの温度差を突きつけてくる。
 





 あたしは、ずっと依織くんを見つめていた。
 依織くんが夢を追いかけている時、あたしはそんな彼を見つめながら過去に捕らわれていた。






 依織くんが好き。





 進むことも戻ることも出来なくて、あたしはただあの時の場所に立ち止まったまま、深くなるその想いに溺れそうになっている。






「うん……。元気だったよ…」
 体はね、健康優良児。
 でも心の大切なところは、どこかに置き忘れたまま……。
「今日みたいなことは、よくあるのかい?」
「ん?合コンのこと?……そうだね、たまに誘われるよ。いつもはここまで酔わないけど、今日はお腹すいてるところに飲んじゃったから、回りが速かったみたい」
「気をつけないといけないよ」
「そうだね……」





 依織くんは側にいてくれないから……。
 





 あたしはどうしてこんなに未練がましく依織くんを想っているのだろう?
 別れを告げられたあの時に、どうして終りに出来なかったのだろう?





 叶わないと、分かっているのに……。





 それはきっとあたしの気持ちが砕けなかったから。





 依織くんは、別れを告げる時も優しくて。
 あたしが別れる理由を聞いた時、依織くんはただ困ったように微笑んだ。
 その微笑を目にして、あたしは依織くんの心に、あたしの気持ちが届いていないことを知った。





 優しすぎるその微笑に、あたしは依織くんに突きつけられた別れを黙って受け入れるしかなかった。
 呆然として、涙さえ出なかった。






 嫌われて拒絶されたんじゃない。
 最初から、あたしは依織くんの中に入れてなかっただけ。






 あたしは依織くんが持っている、想いの絶対領域には入れなかった。






 あたしは、他の女の子よりほんのちょっと優しくしてもらえただけ。
 それはきっと、あたしが依織くんと一緒の家で暮らしたからだと思う。
 過ごした時間が、他の女の子達よりほんの少し深くて長かったから、その分だけ優しかったんだろうね。
 





 でも、依織くんの一番大切な深い場所には入れてもらえなかった。





 きっとそこは雪音さんの場所だから……。





 あたしは、生まれて初めてこんなに人を好きになった。
 心の大部分を占めるくらい、依織くんが好き。






 でもあたしの想いは依織くんの心に届かなかった。 





 だからあたしは依織くんに受け取ってもらえなかった心を持て余している。





 もし依織くんがこの想いを受け取ってくれた後、あたしを拒絶したのなら、ここまで引きずることはなかったと思う。






 いっそこの想いを木っ端微塵に砕いてくれたらよかった。
 そうすれば、あたしはこんなに長く依織くんに捕らわれなくて済んだのに。





 砕け散って、そこから立ち上がって、あたしは歩いていけたのに。





 でも依織くんに受け取ってもらえず、あたしも捨てられなかったこの想いは、ずっと心の中で行き場を探してる。





 依織くんへの想いをどんどん募らせながら。





 いっそ、砕いてしまおうか?
 そうすれば、前へ歩いていけるのかな?





 あたしは、もう依織くんへの想いに区切りをつけなきゃいけないんだ。





 依織くんを忘れて、新しい道を歩いていく為に……。





「むぎちゃん?」
 歩道に沿って歩いていたあたしが、ふと海へと歩む方向を変えると、依織くんがまた心配そうに声をかけてくれた。





 依織くんは初めて一哉くんの家で出会ったときから優しかったね。
 癖のある同居人4人の中で、依織くんが一番大人で女の子の扱いに慣れてて優しかった。
 あたしを最初からちゃんと女の子として扱ってくれてた。





 でも時々、依織くんは誰よりも厳しくて怖かった。
 そしてふとしたはずみに浮かべる、どこか憂いを帯びた横顔が気になった。





 だからかな?
 依織くんに惹かれていったのは。





 一緒に過ごす時間が増えていくにつれ、依織くんの事を少しずつわかってきて、ますます惹かれていった。





 好きだった。
 今も好き……。





 だからもう終りにしよう。

















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