「むぎちゃん?」 





 あたしは依織くんの呼びかけにかまわず、海へと立ち入れないようにしている柵まで歩いていった。





 静かな波の音が、規則正しく聞こえてくる。
 外灯の明かりで、波はキラキラと輝いているけれど、深く暗い海面はどこまでも沈んでいきそうで、本能的な恐怖が沸き起こりあたしは小さく体を震わせた。





「寒い?戻る?」
 あたしの斜め後に立つ依織くんは、あたしの体の震えを寒さからと思ったみたいだった。





 細やかな心遣い。
 本当に依織くんは優しいね。





「大丈夫。ちょっと暗くて怖かっただけ」
「そう……」
「風は冷たいけど、気持ちいいね!」
 冷たい風は、あたしの胸の奥でもやもやとしているものを払ってくれるよう。
 大きく背伸びをして息を吸い込めば、澄んだ空気の冷たさで、ずっとずっと心に溜めて封印してきた想いが綺麗になっていくみたい。





「あまり長く居ると風邪をひくよ?」
「大丈夫!!あー!!なんだか叫びたくなってきた!!」
「いきなりどうしたんだい?」
 海に身を乗り出すようにして、突然大きな声を出したあたしに、依織くんは少しびっくりしながらも、面白そうに問いかけてきた。






 きっと酔っ払いだって笑ってるんだ。
 確かに酔っ払いなんだけどね。
 でも、酔ってるって、いい免罪符かもしれないな。
 いつもなら出来ないことが、出来そうな気もする。
 気が大きくなってるのかな?






「なんかね〜、思いっきり『わー!!』って叫んでストレス発散したい気分なんだ。力いっぱい叫んだらすっきりしそうじゃない?」
「確かにね。大きな声を出したら気持ちいいかもしれないね」
「やっぱりそう思う?」
「ああ。いいよ、むぎちゃんがストレス発散したいのなら、思う存分叫んだらいい
「ほんとに?いいの?」
「どうぞ、お姫様のお気に召すままに」





 依織くんは笑って許してくれた。
 酔っ払いの戯言だと思ってるのかな?
 あたしは叫ぶって言ったら、ホントに力いっぱい叫んじゃうよ?





「でも、迷惑かけちゃう」
「近くに人はいないから大丈夫。僕に聞かれて平気ならね」
「……平気だも〜ん!」
「だったら、どんなに叫んでも、僕はかまわないよ」






 ほんとにいいのかな?
 依織くんの言葉に甘えちゃって。
 いいんだよね?
 うん、叫んじゃえ。
 どうせあたしは天下無敵の酔っ払いだ。
 あたしはおどけて、まっすぐ空に向けて片手を上げ予告した。






「それでは、お言葉に甘えて。鈴原むぎ、叫びま〜す!」






 叫んでやる、思いっきり!
 そして見事に砕け散ってやる!














「依織くん、大好きーーー!!」











 あたしは静かな波の音を繰り返す暗い海に向かって、お腹の底から今まで出したことのない大声で叫んだ。
 これまで抱えていた想いのすべてを吐き出すように。






 ごめんね、しつこくて。
 きっと、依織くんは迷惑だよね。
 でも、これはあたしが砕け散る為にもう一度必要な告白なの。
 あたしは依織くんを振り返るのが怖くて、叫んだ後、柵に手をついたまま目を閉じた。





 別れた日から何年も言葉に出来ず、胸に抱えていたやり場の無い依織くんへの想い。
 それを今、思いっきり吐き出せて、あたしの気持ちはほんの少しだけ楽になった。
 これでこの気持ちが木っ端微塵に砕け散ってしまえば、あたしはやっと前を向いて歩いていけるんだ。





 あたしらしく、まっすぐに。





 そしてもう二度と、依織くんとは会わない……。






 依織くんが動く気配がした。




「っ!?」
 海に向かって柵から乗り出すようにしていたあたしの体は、一瞬にして強い力で後ろに引き戻された。
 力強い腕に、あたしの体をぎゅっと抱きしめられる。
 背中に感じる温もりは、何?
 何が起こってるの?






「……いつだって、俺は君に敵わない」





 押し殺した依織くんの声。
 依織くんの頭が、こつりとあたしの肩に伏せられた。
「依織、くん?」
 何?なんなの?
「愛しているよ、むぎ」
「え…?」
 厳かに依織くんから告げられた言葉を、あたしは理解することが出来なかった。





 
 何を、言ってるの?






「愛してる…」





 微かな吐息混じりのそれと共に、あたしを抱きしめる依織くんの腕が力を増した。
 体を締め付ける強い力が、あたしの身動きを封じ込んでしまう。





「依織く…ん?」
「あの時、君を信じる強さが無くてごめん。それでもまだ俺を好きでいてくれてありがとう…」
「……」
「好きだよ、むぎ」
「……う、そ…」
「嘘じゃない、俺はずっとこうやって君を抱きしめたかった。君を傷つけたのは俺なのに……。ずっとあの日の事を後悔していた」





 あたしは依織くんの言葉に声を失った。
 あのトーク番組で依織くんが語っていた、たったひとつの後悔している恋ってあたしのことだったの?





 そんなの信じられないっ!!





 
「あたしは……」
「ん?」
「あたしは、もう依織くんへの想いに終止符を打とうと思ってるの!もうこれ以上、苦しい思いをしたくないっ!」
「むぎっ!?」
「もう終わらせる!もう依織くんとは会わないって決めたのっ!!」
 あたしは激しく身を捩って、依織くんの腕を振り払い夢中で走り出した。






 
 これはきっとお酒が見せた都合のいい夢。
 それに頷いてしまったら、目が覚めた時、あたしは立ち上がれなくなってしまう。







 だから、あたしは逃げるの。
 これ以上、依織くんに捕らわれていたくない。







 この想い、砕け散ってしまえ!!













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