シルクロード写真館 (トルコ・遺跡と自然編)
 アジア西端の国トルコといえば、ヨーロッパとの接点の街イスタンブールが有名ですが、実際には国土の97%はアジアのアナトリア高原に位置しています。この広い大地に旧石器・新石器時代からヒッタイト帝国、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国を経てトルコ共和国に至る長い歴史が連綿と続いています。そして、そのアナトリアの風土に生きた人々の営みのあとが、遺跡として各地に残っています。
 このトルコの雄大な自然と歴史の跡を,1992年9月から93年5月にかけて撮影した写真により、イスタンブールの街からエーゲ海に向かって時計廻りに紹介します。

イスタンブール

 東西文明の接点イスタンブールは、ボスポラス海峡によってヨーロッパ側とアジア側に分かれています。330年、ローマ帝国のコンスタンテイヌス帝がこの地に都を移したとき、都の名をコンスタンテイノープルと改め、その後、オスマン帝国の時代にイスタンブールとなりました。ヨーロッパ側からフェリーでボスポラス海峡を渡り、アジア側の町ユシュキュダルに上がると、そこからアナトリアの壮大な大地が広がります。

ゴルディオン

 首都アンカラの西南100Hにある紀元前8世紀中期のフリギア王国の都城址です。アメリカの考古学者ヤングによって1950年に発掘調査が開始されました。宮殿跡や神殿跡が確認されましたが、なかでもモザイクの敷き詰められた床面の建物は注目されました。中央アナトリアで権勢を誇ったフリギア王国でしたが、紀元前700年頃、黒海北辺にいたキンメリア族の南下によって滅ぼされました。

ミダス王墓

 ゴルデイオンの近くに眠るフリギア国王ミダスの墓です。ミダスは手に触れるものすべてが黄金に変わるというギリシア神話に登場する国王として知られています。墳墓は直径300E、高さ53Eと大きく、玄室や棺はレバノン杉で作られたものですが、副葬品は青銅製の大鍋やフィブラ(留め金)、木製の机などで、肝腎の金製品が発見されないことから、ミダス王の墓ではないとする説もあります。

アンカラ

 中央アナトリアに位置するトルコ共和国の首都です。1923年、建国者ケマル・アタチュルクの指導のもとに生まれた新興都市ですが、古代にはアンキュラと呼ばれていました。紀元前6世紀には歴史上に登場しており、ローマ時代、ビザンツ時代の遺跡は市内のいたるところで見られます。旧市街から新市街に向かう交差点に、3頭の鹿を形どった像がヒッタイト帝国の象徴として立っています。

カマン・カレホユック

 首都アンカラの南東100Hにある前期青銅器時代からイスラム時代にかけての墳丘です。中央アナトリアの文化編年の確立を主目的に、現地にベースキャンプを設けて、中近東文化センターの大村幸弘氏らによって1986年から発掘調査が続けられています。カレホユックとは「城塞の丘」を意味します。調査区は北側と南側に分けられ、北区では文化層の確認、南区は遺構の範囲を中心に調査が行われています。
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