シルクロード写真館 (トルコ・遺跡と自然編)

ボアズキョイ

  首都アンカラの東100Hにある紀元前18世紀から12世紀にかけて栄えたヒッタイト帝国の都の跡で、古代名をハットウシャといいます。遺跡は周囲6Hに及び、上の町と下の町に二分されます。上の町には宮殿跡、王門、獅子門、突撃門など、下の町には大神殿跡、倉庫群などがみられます。ドイツの考古学者ヴィンクラーによって1906年に発掘が開始されて以来、1世紀にわたる調査が現在も続けられています。

ヤズルカヤ

 ボアズキョイの北東2Hにあるヒッタイト帝国時代の葬祭殿跡です。ヤズルカヤとは「文字の刻まれた岩」を意味します。フランスの探検家シャルル・テクシェによって1894年に発見されました。大きく大回廊と小回廊とに分けられ、大回廊には天候神やアリンナの太陽神など男女の神々の像、小回廊には12神の行進像や神に抱かれた国王の像などが空を突く岩肌に刻み込まれています。

アラジュホユック

 ボアズキョイの北30Hにある紀元前3000年紀の前期青銅器時代の遺跡として有名です。トルコの考古学者コシャイによって1935年から発掘が開始され、13基の墳墓が発見されました。そのうちのK墓と呼ばれる墓からはアナトリア最古の鉄器である短剣が出土しました。なお、遺跡の象徴的存在であるスフィンクス門は、紀元前14世紀のヒッタイト帝国時代に造られたものです。

キュルテペ

 カイセリの北東20Hにある紀元前2000年紀前半の遺跡です。当時、この地域はメソポタミアからアナトリアの銅を求めてアッシリア商人の活動が盛んでした。トルコの考古学者オズギュッチ夫妻によって1948年から発掘が開始されました。キュルテペとは「灰の丘」を意味する大規模な墳丘で、墳丘からは紀元前18世紀の城塞と宮殿跡が発見されました。

カールム

 キュルテペの東側に広がる紀元前2000年紀前半のアッシリア商人の居留区(カールム)跡です。彼らは青銅器を作るのに欠かせない錫とアナトリア産出の銅との交易が目的でした。しかし、紀元前1740年頃、突如姿を消してしまい謎のままとなっています。遺跡からは多量の粘土板文書や、ここでしか確認されていない獅子や鳥の形をしたリュトン(酒器)などが発見され、当時のメソポタミア世界を知る重要な手掛かりとなっています。
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