シルクロード写真館 (黄河溯行・炳霊寺への船旅編)

炳霊寺石窟群

 断崖の下につくられた架設道を進むと、いよいよ炳霊寺石窟です。石窟群は大仏の両側に広がる険しい紅砂岩の岩肌に長さ約2H、上下4層にわたって掘られています。炳霊とは千仏万仏を意味するチベット語です。かつては「敦煌に行けなければ炳霊寺に行け」と言われていた名刹です。年一度の増水期には水を満々と湛えますが、今、道の下の河床は渇いた砂地となっています。

炳霊寺最大の石仏
      
 炳霊寺を代表する第171窟の大摩崖仏です。唐代につくられたもので、高さが27mあります。椅子に座った姿は優しく、顔の頬と口元に浮かぶ微笑みがなんとも神秘的です。炳霊寺では現在までに196の石窟・石龕が確認されています。開鑿は西秦時代の420年頃で、その後北魏、隋、唐、宋、元、明、清の1500年にわたり、各時代のさまざまな民族の手によって造営され、守り伝えられてきました。

黄河峡谷と姉妹峰

 峡谷に佇む姉妹峰と呼ばれる岩山は山水画に似た景観で、場所によっては二人の美女があたかも寄り添っているかのように見えます。足下の黄河は石窟を包むように大きくカーブしています。伝説によると、あるインドの僧が、「黄河が西に流れ、山の頂きが赤く輝くところに石窟を掘って修行せよ」と夢で仏に告げられ、開鑿したのがこの炳霊寺石窟だったそうです。黄河5000Hの流れのなかで河が西行するのはここだけです。

洮河(とうが)の河口

 炳霊寺石窟をあとに、往きとは逆に黄河の流れに沿って劉家峡のダムサイトの手前まで戻ってくると、船の右手に黄河と合流する洮河の河口が見えてきます。洮河を溯った中流域には、1920年代初めにスウェーデンの考古学者のアンダーソンが彩文土器(表面に文様が描かれた土器)を求めて発掘調査を行った新石器時代文化(今から5000年〜4000年前)の馬家窯や半山など数多くの遺跡が眠っています。

劉家峡ダムの船発着場

 炳霊寺石窟から船で3時間、劉家峡のダムサイトに戻ってきました。ここは甘粛省の省都蘭州から南西約100Hにあります。ダムは高さが147m、幅が840mあり、総貯水量が57億立米を誇る発電所施設ですが、この時期の貯水量はやはり少ないようです。ダムサイトの一角にある炳霊寺石窟行きの船発着場には、大小の観光船が舫(もや)っています。夕闇が迫るとともに、炳霊寺石窟への黄河溯行の旅もこれで終わりです。
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