シルクロード写真館 (パキスタン・ガンダーラ仏教遺跡編)
 かつてのインド西北部、現在はパキスタン西北部に位置するガンダーラの地は、紀元1世紀から紀元3世紀の間、クシャン王朝の庇護により仏教が非常に盛んでした。そして、この地で仏像は誕生したとも言われています。インドで生まれた仏教は、このガンダーラを通って中央アジア、中国、朝鮮半島を経由して日本に伝わってきました。
 ガンダーラは大きく西部・北部・東部の3つの地域に分けられます。西部はアフガニスタンとの国境に近い北西辺境州の州都であるペシャワールを中心とした地域、北部はヒンドゥークシュの山岳地帯を目前にしたスワ−トを中心とした地域、東部は首都イスラマバードの西方に位置するタキシラを中心とした地域です。
 往時、文化・芸術の中心であった花の都ペシャワールに、残念ながら仏教に関わる遺跡はほとんど現存していません。しかし、ペシャワールの郊外とスワート、タキシラ地域では素晴らしい遺跡を見ることができます。
 この悠久の時を超えた麗しの地ガンダーラに残る仏教遺跡などを,1998年8月と1999年9月に撮影した写真で紹介します。

チャ−ル・サダ
(ぺシャワール地域)

 ペシャワールの北東約25km、ここがかつてガンダーラの都だったところです。当時はプシュカラバティ(青い蓮の花の町)と称され、中国唐代の玄奘三蔵の『大唐西域記』にも記されている古城址は、バラ・ヒサ−ルと呼ばれていました。しかし、現在は崩れ果て、高さ約20mの土盛りの丘だけがガンダーラの中心都市としての面影をとどめています。

シャー・ジー・キー・デリー
(ぺシャワール地域)

 ペシャワール市内にあり、『大唐西域記』のなかでプルシャプラ(花の都)と呼ばれた中心地域だったところで、かつてはここにカニシカ王のストゥーパ(仏塔)があり、その内部から青銅製の舎利容器が発見されました。舎利容器はペシャワール博物館に保存されていますが、遺跡の方は全く残っていません。

ペシャワール博物館
(ぺシャワール地域)

 ガンダーラ美術最大のコレクションを誇るペシャワールでは必見の博物館です。ペシャワール市内に仏教遺跡は何一つ残っていませんが、ここに来れば多くのガンダーラの仏教美術に関するものを見ることができます。1階の中央広間には、大きな仏立像や菩薩像などが壁面などに、そのままの形で露出展示されています。

タフティ・バハイ
(ぺシャワール地域)

 ペシャワールの北約85kmにあるガンダーラの山岳仏教の代表的寺院址です。1世紀〜7世紀にかけて建てられたもので、小高い丘の上に登るとガンダーラ平野の眺望が開け、思わず見とれてしまうほどです。寺院の中心部には塔院、奉献塔、僧院、食堂、地下倉庫などがあり、建物の保存状態は極めて良好です。

シャーバーズ・ガリ
(ぺシャワール地域)

 ぺシャワールの東北東約65kmには、紀元前3世紀中頃、マウリヤ王朝の第3代アショカ王によって作られたとされる磨崖の法勅碑があります。碑文はカロシュティー文字で書かれ、内容は、動物をみだりに殺さないこと、父母や長老に従順であること、「法大官」を置き、法の確立に従事することなどが説かれています。
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