シルクロード写真館 (中国西域南道・自然風土編)
 中国新疆ウイグル自治区のタクラマカン沙漠の南には聖山と崇められる崑崙山脈が東西に横たわっています。その山脈の北麓と沙漠の南縁に沿って走るシルクロードは、古来西域南道と呼ばれています。かつて東の敦煌から西のカシュガルまでは沙漠を横切る過酷な道で、4世紀末の高僧・法顕は「上に飛鳥なく、下に走獣なし。…唯、死人の枯骨をもって標識と為すのみ。」と記しています。現在の道は敦煌を出ると一度南下し、ツァイダム盆地から西に向かい、アルティン山脈を越えてチャルクリク(若羌)で初めて沙漠に接し、そこからホータン(和田)を経て、天山南路との合流点である西端の町カシュガルに至ります。
 ここでは、西域南道のなかの敦煌からホータンまでの自然風土を,2004年6・7月に撮影した写真で紹介します。

月の沙漠・鳴沙山
(敦煌)

 西域南道の東の起点は敦煌です。敦煌は漢域最後の町で、ここから西は異域と呼ばれ、唐の王維の詩にも「西のかた陽関を出ずれば故人無からん」と詠われています。敦煌の名所である鳴沙山は、愛唱歌『月の沙漠』を口ずさみたくなる広大な沙の山です。しかし、この先には過酷な自然が待っています。

自然の砦・魔鬼城
(冷湖鎮−花土溝)

 ツァイダム盆地のゴビ地帯の道を走ると、ところどころヤルダンと呼ばれる風食を受けた地形が見られます。こうした風と砂による奇観を土地の人は魔鬼城と呼んでいます。日中は自然の造型美であっても、夜になると砂壁にあたって生ずる唸り声に似た音を、人々は魔物がいると感じたのでしょう。

道路のそばの塩の塊
(冷湖鎮−花土溝)

 ツァイダム盆地は太古には湖でした。その後、盆地の西部が隆起し多くの小さな塩湖が残りました。「ツァイダム」とはモンゴル語で「塩の沢」という意味です。ここを走る道路には塩の層の上に設けられたところがあります。そのため、道路の左右には石と間違えそうな塩の塊が果てしなく広がっています。

アルティンの山越え
(花土溝−チャリクリク)

 アルティン山脈は崑崙山脈の支脈で、甘粛省・青海省・新疆ウイグル自治区の境界を形成しています。遠目には穏やかな山並みですが、奥地に入ると岩肌あらわな断崖絶壁や狭隘な九十九折れの道が続きます。また、これでも国道かと疑りたくなるような凸凹の川床道などを無事通過して西域南道に出ます

沙漠の花・タマリスク
(チャリクリク−チャルチャン(且末))

 シルクロードの沙漠の代表的な花がタマリスクです。中国語で紅柳、日本語では御柳などと呼ばれています。針のような葉が密生し、赤褐色に分岐した枝先には淡紅色の小さな花をびっしりとつけています。乾燥や塩分などに強い新疆原産の植物で、これが生えていれば、地下に水脈のあることが察せられます。
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