シルクロード写真館 (中国西域南道・遺跡編)
 中国新疆ウイグル自治区のタクラマカン沙漠の南を走る西域南道には、漢代から唐代にかけての王国の城址や仏教遺跡が数多く残っています。かつて玄奘三蔵やマルコ・ポーロが足跡を残し、20世紀のはじめ、西欧のヘディンやスタイン、日本の大谷探検隊などを魅了させた古(いにしえ)の跡が、今も往時を偲ばせるかのように静かに佇んでいます。西域南道は21世紀に残された唯一の秘境の地と言えるかもしれません。
 ここでは、前回の西域南道・自然風土編に引き続き、敦煌からホータン(和田)にかけて今も残る遺跡を,2004年6・7月に撮影した写真で紹介します。

敦煌莫高窟

 敦煌は漢域の西端に位置するオアシス都市です。莫高窟は、市内の南東約25km、鳴沙山の東の断崖に5世紀前半から約1000年にわたり造営された仏教遺跡です。石窟の数は492にのぼり、「沙漠の大画廊」と称されています。写真は、莫高窟のシンボル、大仏殿(第96窟)の九層楼閣の外観です。

陽関

 玉門関と並び称される、西域南道への重要な関所跡です。唐の詩人・王維が「西のかた陽関を出ずれば故人無からん」と詠んだところとして有名です。現在は、烽火台が高台の上に崩れかけた姿を残すのみです。前方にはゴビ灘(たん)と称される礫まじりの大沙漠が広がっています。

チェルグドゥク(且爾乞都克)古城

 チャルクリク(若羌)の南東6kmにある古城跡です。写真は、内城の西北角にある仏教寺院の遺構です。発掘調査により、4世紀頃の灰陶・紅陶の破片や梵語で書かれた貝葉経などが出土したと報告されています。残存する日干しレンガで築かれた仏塔跡により、往時の栄華が偲ばれます。

ミーラン(米蘭)遺跡

 チャルクリクの東約90kmに残る、イギリスの探検家スタインによって発見された都城遺跡です。楼蘭国(鄯善国)の都城の一つであったとも言われています。9世紀以降、1907年にスタインが発見するまで、深い砂のなかに埋もれていました。遺跡の範囲は東西4kmにも及ぶ広大なものです。

ミーラン遺跡・仏塔跡

 手前が第3仏塔、後ろが第5仏塔です。スタインは、第3仏塔から「有翼天子像」、第5仏塔から「ガーランド(花綱)を担う各国童子像」などの壁画を発見し、当時、一大センセーショナルを巻き起こしました。双方とも日干しレンガの築造ですが、第5仏塔はほとんど破壊された状態でした。
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