シルクロード写真館 (カザフスタンとキルギスの遺跡と遺物編)
 天山山脈の北側を行くシルクロードは天山北路と称されていますが。ほかにステップルート即ち草原の道とも呼ばれています。この天山北路は古くから東西の文化や騎馬民族の活躍、ソグド商人の交易などさまざまな人や物が行き交った道でした。そして、そうした歴史を立証するように、先史時代の狩猟民の岩絵、唐の玄奘三蔵がインドへの途中に立ち寄った城、カラハン朝の都の跡など多くの遺跡が中央アジアの国カザフスタンやキルギスの各地に残っています。
 ここでは、2006年5月から6月にかけて撮影した写真から、カザフスタンの大草原とキルギスの天山北路上に見られる遺跡と遺物を紹介します。

タンバル・タスの岩絵
(カザフスタン タムガル渓谷)


 アルマティの北西約180キロの大草原のなかにたくさんの岩絵が残っています。ここは2004年、タムガルの名称で世界遺産に登録されています。青黒い岩の表面に馬、羊、ヤギ、ラクダ、犬などさまざまな動物とともに、そうした動物を狩猟している人間の姿なども見られ、草原に生きる青銅器時代から鉄器時代にかけての人々の生活の様子がうかがわれます。

タンバル・タスは岩絵の宝庫
(カザフスタン タムガル渓谷)


 岩絵の案内のアレクセイさんです。長年この遺跡の研究に携わってこられた方で、尖った岩の上を軽やかに跳び回りながら太陽神や宗教行事などアニミズムの世界についての興味深い説明をうかがいました。遺跡内には岩絵のほか、住居跡や墳墓なども残っています。草原の芸術家の末裔が暮らしていたのでしょうか。タンバル・タスはまさに岩絵の宝庫です。

タンバル・タスの古代人の墓
(カザフスタン タムガル渓谷)


 墓の一つです。長方形の石棺の構築には近くの石が使われており、地中に埋められた石材には岩絵の描かれたものも見られます。アレクセイさんの説明によると、墓はすべて盗掘されてしまっていて、副葬品はなにも残っていないとのことでした。
しかし、大草原に生き、そこで死んでいった人々の生活が偲ばれるユニークな遺跡と言えます。

突厥族の石人
(キルギス ビシュケク)


 キルギスの首都ビシュケクにある国立歴史博物館の庭に、国内から集められた突厥族の石人像が並んでいます。7〜8世紀のものと言われています。石人は高さ50センチ前後で、顔は口ヒゲをたくわえ、下部が尖っているのは顎ひげを表わしているのでしょうか。また、右手に容器を持ち、左手に武器を携えている姿は、石人によく見られる構図です。

岩に描かれた薬師如来像
(キルギス、イシク・アタ)


 ビシュケクの南東約80キロのイシク・アタ渓谷に温泉保養所があります。イシクは熱い、アタは父という意味があることから温泉地であることがわかります。この保養書の敷地内の岩に薬師如来像が刻まれています。高さは約120センチ、8世紀頃につくられたもののようです。残念なことに、数年前に仏像の岩の表面に金色の彩色が施されてしまいました。
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