シルクロード写真館 (中央アジア編)

アフシケント遺跡
(フェルガナ郊外・カザフスタン)

 天山山脈北麓の都市であるフェルガナは、漢代には大宛国と呼ばれていました。アフシケントはその大宛国の都の跡で、シル・ダリア河岸の崖上を利用した城塞都市でした。今は単なる土だけの廃虚ですが、往時は東西交易の中心地で、13世紀にモンゴル軍によって破壊されるまで長い間繁栄していました。

コウノトリの巣
(フェルガナ郊外・カザフスタン)

 フェルガナは漢の武帝を魅了した天馬の故郷と言われたところです。天馬を求めてアフシケント遺跡に向かう途中、道路に沿って立つ1本1本の電柱の上にコウノトリの巣がありました。天馬には会えませんでしたが、中央アジアの自然のもとならではの微笑ましい光景に思わず車を停めてしまいました。

レギスタン広場
(サマルカンド・ウズベキスタン)

 サマルカンドはチムール帝国の都で「青の都」とも呼ばれています。旧市街にあるレギスタン広場は「砂の広場」という意味で、市の中心的存在です。広場を囲むように3つの華麗なメドレセ(イスラム教神学校)が建っています。左手の建物はチムールの孫が1420年に建てた最古のメドレセです。

アフラシャブ遺跡
(サマルカンド・ウズベキスタン)

 6〜8世紀にソグド人が築造したかつてのサマルカンドの町の跡です。チンギス汗が破壊し尽くした兵(つわもの)どもの夢の跡ですが、丘の上にたたずんでいると、シルクロードを往来したソグド商人の栄華が偲ばれてきます。茫漠とした丘の上からは、その後チムールが建設した新市内が一望できます。

ソグド人の壁画
(サマルカンド・ウズベキスタン)

 アフラシャブ遺跡出土の資料は、すぐそばにあるサマルカンド考古学博物館に収められています。宮殿跡で発見された青を基調とした極彩色の壁画には、顎ヒゲをはやしたソグド人の顔や白鳥の姿などがリアルに描かれています。そのモチーフから当時のソグド人の国際性や芸術性の豊かさが窺われます。
<前へ
次へ>
シルクロード紀行 文机からエッセイ 『シルクロードの謎』 TOPへ戻る≫
ALL Rights reserved,Copyright(C) 2001,S.Matsuzaki  ご意見・ご感想はこちらまで